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2017

ラストミッション

3 DAYS TO KILL / 2014年 / アメリカ、フランス / 監督:マックG / アクション、コメディ / 117分
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お父ちゃんは娘に好かれたい。家族をほったらかしてきた猛烈社員の悲哀。
【あらすじ】
余命あと3か月と宣告されたので家族と仲良くしたい。



【感想】
ヨーロッパ・コープ制作ということで銃、車、爆発のアクション映画をイメージされる方も多いでしょう。爆発はなかったけど、だいたいいつものヨーロッパ・コープでした。ケビン・コスナーが主演なので何かあるのかなと思ったら、そうでもなかったという。ごく普通のアクション映画、ちょっとコメディ要素強めです。

主人公イーサンは娘大好きお父さん(娘にはあまり好かれてない)という設定で、「96時間」のリーアム・ニーソンを思わせる。リーアムより娘に毛嫌いされていて、ちょっとかわいそうですよ。

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余命わずかと宣告されたCIAエージェントのイーサン(ケビン・コスナー)。長い間、家庭を顧みず働いてきたため家族とは別居中で関係はギクシャクしている。もう引退も考えていたイーサンだが、病に効くという新薬と引き換えに、あらたな任務を引き受けることとなった。

テーマは家族なのかな。あまり映画とは関係ないかもしれませんが、猛烈社員の悲哀を感じた。自分なりに一生懸命働いてきたのだけど、娘と妻からは嫌われている。たまに会った娘にいきなり父親づらするのもなあと、どうやって娘との距離を縮めたらいいかわからない。家族をほっておくというのは、どの程度の罪なのか。

そしてイーサンが所属するCIAだけど、ここ20年ぐらいでずいぶん印象が変わったように思えるのだ。かつてはCIAやそこで働くスパイは憧れの対象であり、ちょっとしたヒーローだった。CIAの職員たちも、ロシアとは冷戦になりつつも大きな戦争を起こさずにきた誇りを持っていたのではないか。だけど、ここ最近のCIAはもはや諸悪の根源というか、良くない活動も目立っている。自分がやってきたことへの失望というのも、あるんじゃないでしょうか。かつて正しいと思ったことがまったく違っていたかもしれないという。

イーサンは自分がやってきたことやCIAはどうでもよくなり、自分には家族しかないという考えに変化している。ここがねえ、大企業の猛烈社員を見るような気持にさせられる。一流といわれた企業に勤めていても、その評判が一変することは珍しいことではなくなった。東京電力をはじめ、シャープ、電通、東芝など、ここ最近でずいぶんとイメージが変わった。かつて信じていたものは驚くほど簡単に力を失う。会社をアイデンティティとすることも難しい。あれほど熱心にやっていた仕事も、今は正しかったかわからない。もう定年は目の前である。自分には家族しかないのだ。これからは家族と共に生きよう。少しは家事も手伝ったりして。そう決意を新たにしたものの、そのとき家族は、もうダンナのことが嫌いなんだよおおおおおお!

わたしは泣く。ただのアクション映画で、全然そんな話じゃないのに泣く。これ、そんなにイーサンは悪い人でしょうか‥‥。わたしが男だからかなあ。

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娘のゾーイ(ヘイリー・スタインフェルド)は、なんでもかんでも父親のせいにしてしまう。自転車に乗れないのも父親が教えてくれなかったからと怒るが、え、それぐらいなんとかならんのかという。父親も遊び歩いていたわけじゃないんだから。家族の描き方にやや安直さを感じる。

ヘイリー・スタインフェルドがかわいすぎないのがいいですね。実際に見たらかわいいのだろうけど、なんだかかわいくないんですよ。あふれ出る多部未華子感というか。実にちょうどいい。

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ラストで、娘のゾーイがイーサンに「パパ、ココアを淹れて」という場面がある。「わたしはココアを飲むけど、パパの分も淹れようか?」ではないのだ。自分が愛されているという自覚があり、信頼関係がないとこんなことはいえない。わたしは父親にこんなことはいえなかった。「飲みたければ自分で淹れろ」といわれるに決まっている。この映画を観るのがイーサンの世代だとすると、そうやって娘から甘えられることも嬉しいのかな。

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イーサンに指示を出すCIAエージェント・ヴィヴィ(アンバー・ハード)。彼女も高圧的な態度ながら、密かにイーサンに想いを寄せていたという設定。夢見すぎである。おっさんの願望が凝縮されすぎていて悲しい。絶対に相手にされんぞ。想いを寄せていても違和感がないのは、あれがケビン・コスナーだからである。焼酎抱えた加齢臭プンプンの我々と同一視すべきではない。別の生き物なのだ。

イーサンの行動も一貫性がないように思う。敵組織の人間を「良い父親は殺さない」などといって助けるが、その前には車を衝突させて3メートルぐらいの高さから突き落としている。結果、死んでなかっただけである。殺す気マンマン。助かったのは運でしかない。それに他の人たちは殺しまくる。良い父親かどうか確かめなくていいのか。

娘ゾーイの恋人の親族(祖父?)はイーサンのターゲットで、イーサンは彼を殺すところまで追いつめる。とどめこそヴィヴィが刺したものの、イーサンが殺したようなものである。殺されたターゲットも良い父親だったかもしれない。娘は今後、恋人とうまくやっていけるのか。脚本にいろいろと疑問が残る。

ケビン・コスナーはアクションをがんばってましたね。現時点(2017年3月27日)で62歳という年齢を考えると、体はよく動いている。ただ、今のアクションの水準を期待するとちょっと物足りないかも。最初に敵をおびき寄せて倒していくところは良かったですね。

娘さんがいるお父さんが観ると、また違う観方になる作品だと思います。


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2017

郵便配達は二度ベルを鳴らす

THE POSTMAN ALWAYS RINGS TWICE / 1946年 / アメリカ / 監督:テイ・ガーネット / サスペンス /113分
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なんだかわからんがかっこいい邦題。
【あらすじ】
不倫してダンナが邪魔になったので殺す。



【感想】
邦題の魅力に引かれて観た作品。てっきり郵便配達が殺人者かと思ったら、そういうことではないんですね。郵便配達は登場しない。ウィキペディアを見ると、タイトルの由来は諸説あるようで、原作者ジェームズ・M・ケインの家に郵便配達が来るとき必ずベルを二度鳴らすという説、ケインの友人の脚本家ヴィンセント・ローレンスの家に来る郵便配達がベルを二度鳴らすということをケインが聞いてタイトルを閃いたという説。

重要な出来事は繰り返され、二度目に大事なことが起きる(殺人の成功、裁判、ヒッチハイク、自動車事故)ということを指しているらしい。

で、肝心のストーリーはというと、ちょっと都合良すぎる展開というか。そんなことあるー? が連続するサスペンスだった。

ロサンゼルスのダイナーを訪れた流れ者フランク・チェンバース(ジョン・ガーフィールド、左)は、ダイナーの経営者パパダキスに気に入られてダイナーで働きだす。パパダキスの若い妻コーラ(ラナ・ターナー、右)とフランクはすぐに恋に落ち、邪魔なパパダキスの殺害を画策する。

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コーラ役ラナ・ターナーの高圧的な魅力がいいですね。こんな人、安食堂で料理作ってるのかなー。通いたい。フランクは頭がいいという設定ながら、行動は行き当たりばったり。二人はパパダキス殺害の前に駆け落ちを実行するが、ヒッチハイクで車はつかまらず、コーラは歩くのが嫌になってしまい結局ダイナーに帰ることに。小学生の家出でももうちょっと計画性がある。頭がいい設定はどこに‥‥。

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コーラがまたいいキャラでねえ。フランクと駆け落ちしても、どうせ安食堂で働くから嫌とごねる。どうせだったら夫を殺してダイナーを手に入れれば‥‥、と考える。普通、不倫もので殺される夫は、夫自身が浮気しているとか、暴力を振るうなど夫自身に過失があるものも多い。ところがパパダキス(右)にこれといった欠点はないんですね。その夫を殺しちゃおうってんだから偉い。いやあ、清々しいクズじゃないですかあ。どっちかというとフランクのほうが躊躇している。

パパダキスは警戒心のない気のいい男で、自分がギターを弾いてコーラとフランクを踊らせたりもする。それが二人の距離を縮めることにもなってしまう。

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一つ気になったのが、パパダキスがコーラの意見をまったく聞かないところ。これは歳の離れた夫婦だからか、パパダキス自身の性格なのか、時代的にそうなのかちょっとわからないのだけど。

パパダキスが唐突に切り出す彼の姉との同居話に驚く。コーラの意見をまったく聞かず店の売却を決め、姉(コーラには存在すらいってない)と同居を決め、さらに姉は寝たきりなのでコーラに面倒を看るように一方的にいう。本人は「これでみんな幸せだ!」などといってるから、困った人だよもう。この事実の前に殺害は決まっていたが、この件で殺害されてもおかしくないような。

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やはりそこかしこに時代を感じる作品。これ1946年公開なんですよね。さすがアメリカ。戦争中に娯楽作品作っているとは。やたら電気代について文句をいったり、電話の聞く方と話す方が分かれていたり、オープンリールデッキのような物もある。もう出てくる小道具・風景すべて古いのがいい。

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話は、そんなバカなという部分も多いですが女優の魅力で観られる作品ですね。倫理観が厳しい時代なのか濡れ場などはまったくないものの、だからこそ余計にラナ・ターナーの高圧的なまなざしが印象的でした。


この作品自体も古いですがリメイクなんですね。リメイクは3度もされておりオリジナルは1939年。
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2017

アナザー・プラネット

ANOTHER EARTH / 2011年 / アメリカ / 監督:マイク・ケイヒル / ドラマ、SF / 92分
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もう一人のわたしは、わたしよりマシな人生を送っている?
【あらすじ】
交通事故を起こしてしまい立ち直れない。



【感想】
突如、第二の地球が出現するという設定ながらSF色は強くありません。自分を見つめ直し、再生していく物語。哲学的な話も出てくるが罪との向きあい方がテーマなのかな。SF的な映像はなく、地味な田舎町を行ったり来たり。低予算映画ともいう。

でも好きですよ。

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ある晩、ローダ(ブリット・マーリング)は空に浮かぶ不思議な惑星に気をとられ交通事故を起こしてしまう。その事故が原因で、相手の車に乗っていた妊婦と子供は亡くなり、夫のジョンだけが生き残った。ジョンは、家族を失ったショックからアルコールに依存した生活を送るようになってしまった。4年の刑期を終えて出所したローダはジョンの元へ謝罪に向かうが、事故を起こした張本人であることをいい出せず清掃会社のキャンペーンだと咄嗟に嘘をついてしまう。ローダは、定期的にジョンの元へ掃除に通うことになる。

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ローダが事故を起こしたことによってジョンの人生は破壊されたが、またローダも深く傷ついていた。彼女はMITに合格するほどの頭脳を持ちながら、あえて高校の清掃員の仕事に就く。友人との交流も絶ち、家族とも話そうとせず心を閉ざしている。自分のような人間が幸せになっていいはずがないとみずからを罰しているように見えるのだ。

良心的であればあるほど、他人を傷つけたときは自分も深く傷ついてしまうのだろう。そう考えると、悪人てのは本当に楽なんだなあ。悪人で想像力がないというのは最強かもしれん。

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傷ついたジョンとローダは毎週の掃除で会うごとに少しずつ打ち解けていく。ローダがジョンに語る宇宙飛行士の逸話が興味深い。

狭い宇宙船の中で異音が聞こえる。宇宙飛行士は制御盤を開けて修理しようとするが原因がわからず音は止まらない。このままあと二十日以上もこんな音を聴いていたら気が狂ってしまう。宇宙飛行士は、この音を愛そうと考える。翌朝、目覚めたときには音は消え、代わりに美しい音楽が鳴り響いていた。

だいたい、こんな内容だった。これは人生に起きた不幸、自分の欠陥、犯した罪との向き合い方を示しているのではないか。誰もが万全の状態にあるわけではなく、突如ひどい状態に陥ることもある。そのとき、身に起きたことを受け止めて愛せればまた世界は違って見えるという。

ローダの同僚である老いた清掃員も「心を無にする」というアドバイスをする。やはりこれも苦悩への向き合い方なのではないか。だが、そんな彼でも自分の耳をつぶしてしまうのだが。

ローダはジョンの人生を少しでもいい方向へ導こうとする。ジョンの傷を癒すことが、結果としてローダの傷を癒すことにもなっている。だが、そんな二人の関係も「第二の地球」への宇宙飛行計画によって変わる。ローダは宇宙飛行士の募集に応募しており、メンバーの一人に選ばれることになった。地球に残ってほしいと頼むジョンに、ローダは自分が交通事故の加害者だと告げる。怒り出すジョン。そりゃそうなのだ。今までなんだったのよという。

もちろん彼女が全部悪いのだ。罪は償えないが、ジョンのために何かをしようとしたことは本当である。また、自分が楽になりたくてこんなことをしたのかもと正直に告白する。この態度は立派に見える。

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第二の地球との交信を試みたとき、地球側の代表と第二の地球側の代表が同じ人物なんですね。つまり、第二の地球は地球とまったく同じ環境であり、もう一人の自分が同じように生活している。お互いにとって「第二の地球」が現れてからは、地球同士はそれぞれ違った道をたどっているのではないかと推測される。一つだった生命が分裂して二匹に増え、お互いが違う意思を持つようなものかな。

ローダは第二の地球行きのチケットをジョンに譲る。第二の地球では事故が起こらず、ジョンの家族が生きている可能性があると考えた。この決断が正しいのかどうかよくわからない。仮に事故は起きてなくても、その家族はあちらのジョンの家族なのだ。あちらのジョンと、こちらのジョンは同一人物なのだろうか。それって結局、そっくりさんなんじゃないのかなあ。

わたしの目の前にわたしと遺伝子も記憶も同じ人間がいるとする。わたしが自分の顔を殴っても、目の前の人間は痛がらない。どんなに姿形が似ようと他人なのではないか。ジョンは第二の地球で何を目にしたのだろう。彼の孤独は癒されたのか。

「第二の地球」には地球と同じ世界という意味以外に「選択しなかった人生」という意味もあるのかな。あのとき違う決断をしていたら、そこには違う自分がいる。今より幸せな自分がそこにいる。

ラストでは、ローダの前にもう一人のローダが現れる。第二の地球から来たローダなのだ。その顔に笑顔はない。「あちらの世界」(選択しなかった人生)といえば無条件にこちらより幸せと思い込んでいるが、実は違うかもしれない。あちらでも事故は発生し、より不幸になっていた可能性もあるのだ。

ローダが宇宙飛行士に選ばれたのは、事故の体験を応募の課題に書いたからである。とすると、第二の地球のローダもやはり事故を経験している可能性が高い。ローダはジョンにチケットを譲ったことで、第二の地球に行くことはなくなったが、それは彼女がジョンとの関係をとおして心の傷をある程度修復できたことを示すように思う。つまり、あちらの世界でより幸せな自分を見つける必要が彼女にはなくなったのだ。

それが、こちらにやってきたローダの悲し気な表情に表れているように思う。彼女はもっと不幸なのかもしれないのだ。犯した罪を許すのも、他人に罪を償うのも、自分にしかできない。自分が受け止めるしかない。それがあの宇宙飛行士の逸話に込められているように思えた。いろんな意味のとりかたができる作品です。地味な話ながら面白い作品でした。紺碧の空に浮かぶ地球が美しい。