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2017

K-19

K-19 THE WIDOWMAKER / 2002年 / イギリス、ドイツ、アメリカ、カナダ / 監督:キャスリン・ビグロー / サスペンス 、実際に起きた事件を基にした物語 / 138分
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あらゆる批判を許さない体制は、現場の人間を地獄に突き落とす。
【あらすじ】
原子力潜水艦がトラブりました。



【感想】
「ストレンジ・デイズ」「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグロー監督作品。ちょっと当たり外れが激しい人ですが、ハリソン・フォード、リーアム・ニーソン共演ということで観るしかない。

1961年、米ソ冷戦の真っ只中、ソ連は原子力潜水艦K-19を開発。艦長にはアレクセイ・ボストリコフ(ハリソン・フォード)が任命された。K-19は処女航海で困難なテストを次々に成功させていく。それまでもいくつかの細かなトラブルは乗り越えてきたが、アメリカ東海岸へ向かう途中、原子炉冷却装置に深刻なトラブルが発生してしまう。

組織や国家について考えさせられる映画。戦闘はないです。

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ソ連の潜水艦の話なのですが全員英語で話しています。それはもうよしとしよう。そこに引っかかっていても仕方がないので。制作国を見ても「イギリス、ドイツ、アメリカ、カナダ」とあり、事故の当事国のロシアが含まれてないんですね。よしとしよう。なんでもよしとしちゃう。重要なのは作品の出来なのだから、たいていのことはよしとしようじゃないの。

そんでですね、この艦は無理な納期がたたり、就航までにすでに何人もの死傷者を出している。原題にもあるように「widowmaker」(未亡人製造機)という蔑称を付けられるいわくつきの潜水艦なのだ。ロシア語だとなんていうんだろ。

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「こんな艦なんてイヤ」と言えないのが宮仕えのつらいところ。不吉というか、そもそも準備不足なのだ。

副艦長はミハイル・ポレーニン(リーアム・ニーソン)。副艦長以下、艦のクルーたちは別の艦に乗っていたが、K-19に乗るために別の艦からそっくり移動してきたんですね。そこへボストリコフが艦長としてやってくる。これは、ちょっとやりずらいぞ~。まるで転校生のような気分ではないか。軍人だからそんなこと言ってらんないけど。わたしなら逃げる。

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ボストリコフ艦長とポレーニン副艦長は訓練方法を巡り、たびたび対立する。クルーたちは今まで艦長だったポレーニンを信頼している。ボストリコフのやり方も強引すぎるように見えるんですよね。ボストリコフと、ポレーニンやクルーに絆ができる描写がほとんどなく、信頼関係ができたように見えない。ちょっと描き方が駆け足すぎるのかな。

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そんな中、原子炉冷却装置にトラブルが発生してしまい、原子炉が爆発する危機に陥る。この映画ではいくつかのトラブルが立て続けに起こる。それらの原因をたどっていくと、一切の批判を許さないソ連の体制に行きつく。艦の完成スケジュールから、そもそも無茶なものだった。艦は整備不足、クルーは訓練不足、原子炉担当は勤務経験のない新人、原子炉に事故が起きたときも防護服がない、医薬品もない、などなど。だが、上層部に異議を唱えればたちまち刑務所行きになる。現場の人間に皺寄せが行き、代償は人命で払うことになる。

ただの雨カッパを防護服と信じ込まされて冷却装置の修理に行き、全身火傷を負って被爆したクルーたちを、艦長は「英雄」と讃える。だが、トラブルを個人の献身的な犠牲によって克服するという問題解決の仕方は明らかに間違っている。そもそも体制自体が間違っているが、今そんなことを言っても始まらないというところに現場の辛さがある。いつ原子炉が爆発するかもしれない。

艦長の強引なやり方はクルーたちの反発を招く。2名のクルーがクーデターを起こし、艦長は拘束される。この2名のクルーの気持ちもわかるんですよね。彼らは艦長や国に反抗したというより、ただ生きのびたかっただけなのだ。彼らは指揮権を副艦長に渡すが、副艦長はクーデターを起こした2名を逮捕し、指揮権を艦長に返すのだ。

ここの判断がねえ、ちょっと難しいんですよ。原子炉の冷却装置は直るかどうかわからない状態にある。ソ連の本部とは無線の不調で連絡がつかず、救援を呼べない。近くにはアメリカ海軍がいる。冷却装置が直らない場合、艦長は艦を海底深く沈める気でいた。艦長は米軍に救援を求める気はない。また、救援を求めたならば最新技術が詰まった艦をアメリカに渡すことになる。クルーたちは尋問を受けて機密が流出することになる。艦長はクルーも自分も殺す気でいた。

副艦長の提案は、艦を自沈させた後、クルーたちは脱出して米軍に助けを求めるというものだった。現代人の感覚としてはこの副艦長案が理解しやすいように思う。2名のクルーが造反して、副艦長に指揮権を委ねたのは当然にも思えるのだ。なぜ、副艦長は艦長に指揮権を戻したのだろうか。国家への忠誠なのか、海軍の秩序のためなのだろうか。だが、指揮権を艦長に戻すということはクルーや自分の死を意味するのだ。艦長と副艦長に、そこまでの信頼関係は芽生えていなかったようにも思えるのだ。

冷却装置の修理はなんとか終えたものの、艦の航行自体には支障をきたしている。そのとき僚艦に通信が繋がり、ソ連の本部とも通信が可能になる。艦長は原子炉のトラブルを本部へ報告する。ここでの本部の返信がひどかった。「果物をクルーたちに食べさせろ」と言うんですよね。

艦長が忠誠心を失ったのは、この瞬間だったのではないか。艦内は事故により放射能が満ちており、食べ物は汚染されている。だから艦長はクルーに缶詰以外の飲食を禁じていた。果物を食えということは体内被曝をさせることになってしまう。そのことを知らずに言っているのなら、まったく何もわかってない人間が上層部で指揮を執っていることになる。また、知っていて果物を食えということは、事故を隠蔽するためにクルーたちを早く殺してしまおうということを意味する。事実、この事故はソ連崩壊までの間、秘密にされることとなった。どちらにしろ、果物を食べさせるなどあってはならない命令なのだ。

組織の理不尽さに個人が押しつぶされていくのが、観ていてやるせない気持ちになる。艦に乗り込んだ軍人たちは国家への忠誠心に溢れている。だが、その国が間違っており、国が自分たちを殺そうとする場合、それでも国に尽くす義務があるのだろうか。国と、権力を握る上層部を同一視しているだけかもしれない。本当に国のためを思うなら上層部の誤りを正すべきだが、そんなことをしようとすれば粛清されるだろう。

クルーたちが最後に乾杯をするとき、杯が捧げられるのは国でも党でもない。艦長は「仲間に」と言うのだ。忠誠心を失った彼らが拠り所にできるのは、死地を共に乗り越えた仲間だけなのだろう。日本もいささか窮屈になっているとはいえ、自由に物が言える環境にある。本当にねえ、これだけは手放してはいけない権利だと思います。ロシアが自国でこの映画を作れないところに、まだ少し問題を感じる。

人によっては退屈な映画かもしれません。戦闘場面もないですしねえ。権力に押しつぶされて、やるせない気分を味わいたいときは是非是非。潜水艦映画は、なかなか秀作揃いですね。「レッド・オクトーバーを追え!」「クリムゾンタイド」「U・ボート」などもいいですね。


15
2017

国際市場で逢いましょう

국제시장 / 2014年 / 韓国 / 監督:ユン・ジェギュン / 127分 / ドラマ、恋愛、戦争
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「家長はどんな時も家族が優先だ」
【あらすじ】
家族を支えるために働く長男。



【感想】
邦題の「逢う」という漢字は逢瀬、逢引きなどのように、恋人や浮気相手に使うことが多いように思われる。ここで使われた「逢いましょう」は家族に向けてのものだから「会う」のほうが適当に思える。

朝鮮戦争時の興南撤収作戦の混乱により一家はバラバラになってしまう。乗船の際にはぐれてしまった父と妹は見つからず、長男ドクスは母と弟妹と共に、国際市場で店を経営する叔母の元に身を寄せる。長男ドクスは自分のことよりも家族を優先し家計を支えていく。涙を誘う場面がある映画でした。

米軍の船に避難民たちがへばりつき、われ先に乗り込もうとする場面は迫力がありました。船のヘリから転落して、下の船に体を打ちつけて死んでいく人たちがいる。「ゴリッ」というすごく嫌な音がするんですよ。そこかしこに死体が浮いている。ああして命を落とした人たちも多かったのだろう。

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父に「今からおまえが家長だ」と家族を託された長男ドクス(ファン・ジョンミン、下の画像左)。どこかで観たと思っていたらヤクザ映画の名作「新しき世界」のチョン・チョン兄貴じゃないですか! あ、兄貴‥‥、完全に別人に見えます。

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「新しき世界」のときは完全にあかん人(下の画像)だったのに、更生したなあ!

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すっかり真人間になりましたね。「新しき世界」のチョン・チョン兄貴とはまったく性格の違う役なのがすごい。役者が違う役を演じても、役同士の性格がどこか似てしまうことがある。それは役者の個性が強すぎるからかもしれないけど、高倉健さんなどは何をやっても高倉健に見えてしまう。別にそれが悪いということではないけど。

ファン・ジョンミンは「新しき世界」のヤクザ役では、とぼけているようで切れ者、かつ人懐っこいという実に魅力的な悪人を演じていた。本作では、真面目で家族のために自分を犠牲にする長男ドクスを演じている。本当に全然違う性格で、観終わるまでチョン・チョンと同じ役者とはわからなかった。すばらしい。

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ドクスは家族を食べさせるためにドイツの鉱山で石炭を掘ったり、ベトナムで技術者として働く。鉱山では落盤で命を落としかけ、ベトナムではテロに巻き込まれる。命がけなんですよね。彼がそこまでするのは父の言葉があったからなのだろう。

「家長はどんな時も家族が優先だ」

父の言葉があったからドクスは自分の身を犠牲にして家族のためにこれほどがんばれたのかもしれない。これは難しいところですよねえ。父の言葉が祝福ともなったし、彼を縛る呪いとして、自身を苦しめたかもしれない。家計を支えるため、大学の試験に合格したのに進学をせず、自分から夢を諦めてしまうこともあった。

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だけどドクスに悲愴感というものはそれほどない。どこででも、どうやってでも生きていくことができるしなやかな強さを持っている。いいですね、こういう人。彼の優しげな笑顔に救われる。ドイツでも恋人を見つけてしっかり楽しんでおります。たくましいなオイ。

ドクスの恋人ヨンジャ(キム・ユンジン、左)。ドイツで看護師として働いている。ドクスもそうですが、この時代の韓国人は稼ぐためにいろんな土地に行ってたんだなあ。キム・ユンジンは「シュリ」の女スパイや「ハーモニー 心をつなぐ歌」などに出ていますね。芯の強そうな人。

ドクスが落盤事故に遭った際には病院から鉱山に駆けつけている。野暮なことを言えばこれは職場放棄では‥‥。ドクスへの愛が強かったということでいいのかな。

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で、ドクスの老人メイクなんですが、どうしてもコントに見えてしまう。もうちょっとがんばれなかったのか。違う役者を使っても良いのでは‥‥。

ドクスは子供たちから店を売るように言われると不機嫌になってしまう。もう父親は死んでいるのはわかっているが、それでもドクスは父の「国際市場にある叔母の店で会おう」という言葉が忘れられないのだ。店を売るということは父の死を認めることになってしまう。ドクスの気持ちがわかるのは母、妻、幼馴染の3人だけかもしれない。これはもう仕方ないんですよねえ。

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ドクスの生き方は自分の人生を犠牲にして家族に尽くしたものだった。だけど、自分の夢は諦めたけれどすばらしい人生に思える。

今は少しでも損をしたくないという傾向が強まっているように思う。うまくいっても80年ぐらいしか生きられないのに損も得もないだろうよと思うけど。ドクスのように、損のほうばかりに行って大きな得を手にするということもあるだろうし、また、得にならなくてもいいじゃないと思うのだけど。損とか得とか、選ぶ余地などなく必死に生きた時代だったのだろう。こういう映画を観ると、さすがにわたしでも親にちょっと感謝をしなくてはと思いますよ。観終わった後、10分ぐらいは思いますよ。

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朝鮮戦争によって離れ離れになった人たちを探す番組は、当時の実際の映像が使われたのだろうか。胸に迫る場面だった。

選択の許されない人生は苦しく不幸なのかもしれない。でも、そういった場所ですら自分のありようによっては有意義に生きることができるのだと思う。ドクスはずっとつらかったのだろう。妹が自分の背中から滑り落ちたのは、ドクスのせいでも妹のせいでもなかった。だが、そのために父と妹と離れ離れになってしまった。だから、家族のためとはいえ彼は死の危険があるような場所へでも出稼ぎに行ったのではないか。自分に罰を与えるような気持ちもあったのかもしれない。良心の呵責を背負って家族のために生きたと考えると「そんなに背負いこまなくてもいいんだ」と言いたくなる。誰のせいでもなく不幸が訪れることはある。父親は蝶として店へ帰ってきたのだろう。この場面を入れることがドクスへの赦しともなるし、観ていてホッとするところがあった。

反戦映画としても観ることができるし、いい映画でした。映画が重くなりすぎないよう、幼馴染がいい味を出してますね。お薦めですよ。


14
2017

刺さった男

LA CHISPA DE LA VIDA / 2011年 / スペイン / 監督:アレックス・デ・ラ・イグレシア / コメディ、ドラマ / 94分
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わたしたちの頭にも鉄の棒が刺さっているのかも。
【あらすじ】
頭に鉄の棒が刺さって動けなくなりました。



【感想】
タイトルをスペイン語翻訳にかけると「生命の火花」でした。「ドジな男」とか、そんな意味かと思った。違った。邦題の「刺さった男」というのは簡潔でいいんじゃないでしょうか。鉄の棒、刺さってるし。シチュエーションスリラーかと思ったら、そういうわけではなく、家族や自分の価値観を見つめ直すような作品になっています。ちょっとだけコメディタッチですね。

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失業中の元広告マン、ロベルト・ゴメス(ホセ・モタ)は二年間、就職先が見つからず失意の日々を送っている。スペインの失業率は高い。外務省のページを見ると2015年は22.1%となっている。ザ・ニュー・スタンダードの記事を見ると、25歳未満の若者の失業率は48.8%とあり、「45歳以上で失業すると再就職する機会はほぼゼロに近いと言われている」とある。やり直しのきかなさというのは日本でも感じるけれど、スペインはより厳しいのかもしれない。

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ロベルトは恥を忍んでかつての仕事仲間に雇ってもらおうとするが、みな冷たく相手にしてもらえない。再就職の目途もたたず、家に帰る気にもなれず、ロベルトはかつて妻と新婚旅行で行った思い出のホテルへ車を走らせていた。現在はホテルは取り壊され、遺跡の発掘現場となっていた。発掘現場に侵入したロベルトは事故に遭い、落下してしまう。転落場所には鉄筋があり、後頭部に刺さって身動きが取れなくなってしまう。ドジっ子である。

すぐに救助隊がかけつけるがロベルトの状態は危険で動かすことはできない。テレビで事故現場が中継され、ロベルトは一躍有名になってしまう。

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ロベルトは元広告マンだったこともあり、この状況を利用して金儲けを考える。マーケティング会社と連絡をとり、自分の単独インタビューを高額で売り込もうとする。注目を集めることが金になるというのはどこでも同じなんですね。命がけのYouTuberのような。「頭に鉄の棒、刺してみた」である。死ぬけど。

妻(サルマ・ハエック、左)はロベルトの考えに反対する。彼女はお金はともかくとしてロベルトが助かればそれでいいと考えている。バンドをやっている息子(右)や娘も同じ気持ちなのだ。

この映画を観ていてなんだか悲しい気分になったのは、ロベルトが金の呪縛に絡めとられていて、お金がないと幸せになれるわけがないと信じ込んでいることである。だが、綺麗事を言っても、実際にお金はある程度必要というのもあるわけで。ロベルトがすべて間違っているかというとそうも言い切れない。

でも、彼にはすてきな妻と子供たちがいるのに、まったく家族は見えていないという悲しさもある。彼の頭に刺さった鉄の棒というのは、金の呪縛を示しているのではないだろうか。その鉄の棒は、わたしたちの頭にもきっと刺さっている。

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マーケティング会社の男(左)は、ロベルトの単独インタビューと引き換えに高額の報酬を約束する。妻はこの申し出を断るが、ロベルトには「単独インタビューを引き受けた」と嘘をつくんですね。ロベルトにとってはお金を遺すことだけが家族の幸せに繋がるという信念があり、妻はその考えを尊重したのだ。ロベルトは最後の最後まで金の呪縛から抜けきれなかった。だから、彼は鉄の棒により命を失ったのではないだろうか。

コメディタッチでちょっと笑えるところもあります。でも、手段を選ばず、なんでもお金にするという考え方はねえ。観ていてげんなりしてしまう。マーケティング会社の人間たちがひどいというわけでもないし、ロベルトも同じ人種なんですよね。現代の風潮をシニカルに取り上げてるから、後味が悪くなるのも仕方ないことかもしれない。それにしても、うーむ、ですよ。家族以外だと、警備員のおじさんぐらいしかいい人でないしなあ。