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2016

海と毒薬

1986年 / 日本 / 監督:熊井啓 / 実際にあった事件を基にした映画
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それでもなお良心の声に従えるか。
【あらすじ】
太平洋戦争末期、九州方面を爆撃するために飛来した爆撃機B-29が撃墜される。捕虜となった米兵たちは、西部軍司令部によって裁判も行われないまま死刑の決定を受ける。捕虜たちはF市の大学病院に送られ、生きたまま解剖されることになる。



【感想】
遠藤周作の同名小説が原作。原作未読です。実際にあった九州大学生体解剖事件が基になった映画。

許されない行為が行われようとしているとき、頭ではいけないとわかっていても周りの雰囲気に押し流されてしまうことがある。個人ならば拒絶できても、組織にいると流されるときもある。誤った決断を肯定するためにさまざまな言い訳を自分に対して行ってしまう。人の弱さが巧みに描かれた重苦しい映画ですね。

西部軍司令部から持ち掛けられた米軍捕虜の生体解剖。人の命を救うはずの医者たちが、なぜ健康な人間を解剖するという要請を受けてしまったのか。そこにはそれぞれの思惑があり、一枚岩ではない。

みずからの医療ミスという失態をカバーし、軍とのパイプも作り、医学部長選挙に向けた実績作りをしたい橋本教授。橋本教授を慕う大場看護婦長。橋本教授の太鼓持ちの浅井助手。どうせ死刑になる捕虜なら、医学の発展のために実験台にしてもよいと考える医学部研究生の戸田(渡辺謙、右)。生体解剖には反対だが、混乱のうちに考えることを拒否して押し流されてしまう医学部研究生の勝呂(奥田英二、左)。

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中でも根岸季衣演じる上田看護婦(左)の動機は変わっていた。患者を安楽死させようとしていたところを橋本教授の妻ヒルダに見咎められ、上田は病院を追い出される。その一件を上田は恨みに思っていた。ヒルダはたまに病院を訪れて患者の衣類を洗う。本人だけはいいことをしているつもりだが周りは困惑する。医薬品不足と空襲で患者が毎日死んでいくやるせない状況の中、ヒルダの振る舞いは上田にとっては自己満足にしか見えず、許しがたいものだった。たしかに、いいとこどりのように見えるのだ。ヒルダは夫の橋本教授が学部長選挙のために捕虜の生体解剖をすることなどもちろん知らない。

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上田が誰もが嫌がる生体解剖の手術を手伝うことを了承したのは、橋本教授と共犯関係を作るためだろう。ヒルダへの対抗心である。おまえの夫は汚いことをやっていて、だけどおまえは夫が本当はどんな人間か知りもしない。夫のきれいな面しか知らない。わたしは橋本教授と共有する秘密があるのだ。

上田は生体解剖のことをヒルダに告げ口する気もないし、橋本教授に思いを寄せているわけでもない。虚しく暗い自己満足のために手術に参加するのだ。だが、この上田のねじくれた動機も理解できるような気がする。


肝心の捕虜の生体解剖についてだが、これはどういうふうに考えたらよいのだろう。もし、将来的にこの実験によって救われる患者がいるとしたら、米兵捕虜を犠牲にして解剖すべきなのか。彼らは無差別爆撃によって多くの人を殺し、生体解剖をしなくても死刑は決定している。どうせ死ぬのであればとも思える。銃殺で殺される苦痛を考えると、麻酔をかけて生体解剖をしたほうが苦痛は少ないかもしれない。本来は、法律に従って裁かれるべきなのは間違いない。だが法律も機能しない状況であるのだ。

そもそも彼らに罪があるのかという問題もある。爆撃で多くの人を殺害しても、それは戦争行為の上に成り立つことであって平時に殺したわけではない。彼らは上官の命令に従っただけである。では、上官の命令とはいえ無辜の民を無差別爆撃で殺していいのか。しかし、この時代、銃後の人間は工場で弾薬や飛行機の製造にあたっているわけで、戦争に加担していないかといえばそんなことはない。非人道的な無差別爆撃にも、ある一定の理由を認めることはできなくはない。結局、突き詰めていくと戦争そのものの悪に行きつく。

だが、戸田や勝呂がいまさら戦争そのものの悪を主張したところでなんにもならないだろう。戦争が悪いなどということはみなわかっていて、その個人ではどうにもならない悪の上で、なお捕虜を解剖すべきかどうかという問題がある。最後に残るのは良心でしかない。良心の声に従えば解剖拒否なのではないか。ただ、堂々巡りになるが解剖を拒否したとしても彼らには銃殺が待っていただろう。

医学部研究生の勝呂は優しい性格で、自分が最初にかかわった「おばはん」と呼ぶ患者をなんとしてでも生かそうとする。助からないと知りながら薬を使い、こっそり砂糖を上げもする。勝呂にとって、おばはんを救うことが己の良心を救うことだったのだろう。人を助けるということは一方的な行為ではなく、助けたと思っている者が実は助けられていることもある。

「良心の呵責などない」と言い切る勝呂の同僚戸田。出世と医学の進歩についてしか興味がないようで、勝呂のことを「甘いやつ」と見下しているように見える。だが、戸田は米兵捕虜解剖に尻ごみした勝呂を上司からかばう場面がある。戸田にとっては、勝呂のような純粋な人間が存在していることが救いになっているように見えるのだ。

人の良心は脆い。組織や戦争などにより簡単に押しつぶされてしまう。その脆さを支えるのが信仰だったり、人の善意、人への信頼なのではないか。正しさなどというものは時代によって変わる。戦時中に彼らが行ったことは犯罪でもなんでもなかった。だが戦後、取り調べを受けて、この事件に関わった者たちは有罪となる。その有罪という決定も、朝鮮戦争で日本の協力が不可欠なため対日感情を配慮した結果、恩赦によって減刑される。正しさが普遍的でないとしたら、良心の声に従って行動するしかない。だがその良心の声に従うことがいかに難しいか。すっきり腑に落ちる正解などどこにもないのだろう。

一度は観ておきたい作品です。岸田今日子さんも、この頃はお元気そうでしたねえ。

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