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2016

女衒 ZEGEN

1987年 / 日本 / 監督:今村昌平 / 実在した人物を基にした映画
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おなごんことは、俺にまかしんしゃい!
【あらすじ】
売春宿を作って国に貢献したい。



【感想】
人でなしか、愛国者か、正体は定かではないものの一種の怪人であることは間違いない。明治後期から昭和初期にかけて活躍した女衒、村岡伊平治。著書「村岡伊平治自伝」を原作に映画化。当時の人身売買の状況が描かれている。

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前作「楢山節考」から4年、今村昌平監督、緒方拳のコンビ再び。「楢山節考」に比べてずいぶんとユーモラスな雰囲気ですね。主人公村岡伊平治(緒方拳)は香港の海賊に捕まっていた日本人娘を助け出したのをきっかけに女衒(ぜげん)を始める。タイトルが「女衒 ZEGEN」となっていますが、現代では女衒(ぜげん)は死語でこの漢字を読めない人もいるから、ローマ字を付けたのかもしれませんね。女衒というのは、女を買い付けて遊郭などに売り飛ばす人買いのことです。

村岡の面白いところは、女衒という仕事になんの後ろめたさももってないところ。からゆきさんを集めて売春宿を開くことが国のためになっていると信じてやっている。からゆきさん(唐行きさん)とは、外国へ渡って売春を生業とした女性のこと。多くは貧しい農村や漁村から売られた娘たちだった。唐(から)は中国王朝の唐(とう)からきているようですが、唐が滅んだあとも漠然と外国を指す呼称として定着したようである。

この映画では頻繁に「お国のため」とか「おまえたちは天皇の赤子(せきし)」という言葉が出てくる。村岡も、軍の上原大尉(小西博之)に感化されて事あるごとに「お国のため」を連呼するようになる。「小を捨て大義に生きる」と村岡は口にするが、これが時代の価値観だったのかもしれない。

ロシアからの情報をとるため、村岡が「お国のため」とスパイをさせていた女も拷問の上、殺されてしまう。だが、これについて村岡も上原大尉も気に病む様子はない。立派にお国のために尽くしたということで手を合わせて終わりになる。全体のために少数が犠牲になることは仕方がないという論理だが、これを口にする者は常に切り捨てる側でしかない。

村岡は女たちを集め、娼館を開いて現地で成功する。現地の大使館へ献金し、国に尽くしているつもりだった。だが、それも廃娼令による日本人娼館廃止で状況は一変する。国としては欧米列強と肩を並べるために、売春を公に認めているのはきまりが悪かったのだろう。村岡が掲げていた国立娼館の設立という夢も破れてしまう。当時、海外にはからゆきさんが大勢いたことを考えれば、国が管理して衛生基準や最低賃金を定めた上で売春をさせたほうがよかったように思うのだけど。

今度は村岡も切り捨てられる側となったわけだ。マレーシアに侵攻してきた日本軍を老人となった村岡が出迎える場面がある。「おなごんことは、俺にまかしんしゃい!」と軍人に声を掛けるが冷たく突き飛ばされてしまう。村岡の姿は滑稽でバカバカしく映るが、それでもどこか憎めない。時代に翻弄された哀れな人間だが、ただ哀れまれるだけの弱い存在でもない。エネルギーに満ち溢れていて魅力的だった。

これは女郎たちにもいえる。「楢山節孝」でもそうだったが庶民の姿は、苦境にありながらもふてぶてしく生命力に満ち溢れている。女郎たちを哀れむべき弱い存在としてだけ描いてないところに救いのようなものを感じる。ただ、村岡が書いた自伝を原作としているだけに本当のところはどうかわからない。村岡はあくまで女を商品として扱う側の人間であって、売られる側に立ったものではないから、そこは割り引いて考えた方がいいのかもしれない。

妊娠した女郎のお腹に、別の女郎が飛び乗って流産させるところなどユーモラスに描かれているのだけどまったく笑えない。ここをユーモラスに描くところに監督の狂気を感じさせる。

村岡のライバルである金貸しの王(柯俊雄)が口にする国家感が興味深い。「国家なんか煙と同じ」と口にする。煙は風によってどの方向へも流れる。風とは時代や世論だろうか。そして煙には実体がない。だとしたらそんな煙に踊らされる人々はなんなのだろう。

村岡を捨てた、しほ(倍賞美津子)が実にたくましくて良かった。
「おなごば、ケロッと過去を忘れるじゃけんな」

女のしたたかさ、たくましさが光る作品でした。

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