04
2016

セッション

WHIPLUSH / 2014年 / アメリカ / 監督:デミアン・チャゼル / ドラマ、音楽
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芸術のためならば人が死んでも問題ない!‥‥、のか?
【あらすじ】
音楽の鬼教師に徹底的に鍛えられます。ドラム叩きすぎて流血って‥‥。



【感想】
12月に入って今年一番という映画を観てしまった。あらためて「芸術とは何か」と問いかけられているような。みずからも高校時代にドラムに打ち込んでいたというデミアン・チャゼル監督、この作品を28歳の若さで撮ったというから驚き。監督・脚本を担当しています。デミアン・チャゼルは「グランド・ピアノ 狙われた黒鍵」という映画でも脚本を担当しているのですが、あちらはちょっとねえ‥‥、登場人物がマヌケでグダグダ感がすごいよ。本当に同じ人が脚本を書いたのかという。

名門音楽大学に入学したドラマーのニーマン(マイルズ・テラー)は、大学一の音楽教師であるフレッチャー(J・K・シモンズ)のジャズバンドにスカウトされる。主演のマイルズ・テラーはぱっと見、冴えない男ですが名作「ラビット・ホール」でもやはり冴えない男でしたね。冴えないといっても悪いわけじゃなくて、あれは冴えない人という設定なのでとても良かった。今回も実に冴えないなあ!

冴えなさが良い。プロの童貞の風格。

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フレッチャーのバンドにスカウトされたことで、音楽家としての将来は約束されたと浮かれるニーマン。だが、ニーマンを待っていたのはフレッチャーの完璧さを追求する地獄のレッスンだった。あなたが地獄のレッスンと聞いて想像したより、三段階ぐらい上の地獄です。

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音楽教師フレッチャーの存在感が圧倒的。狂気の音楽独裁者というしかない。

この映画でたびたび取り上げられるエピソードがある。天才といわれるアルトサックス奏者チャーリー・パーカーがジャム・セッションでヘマをしてドラマーのジョー・ジョーンズからシンバルを投げられる。「あのときの失敗がなければバード(チャーリー・パーカーの愛称)は生まれてない」とフレッチャーはいう。

フレッチャーは一切の妥協を許さない。アメリカ人はどんな出来でも「good job」と肯定してしまい、それが結果として人を駄目にしていると手厳しい。だから、彼は演奏者に信じられないほどのプレッシャーと屈辱を与える。負の感情をバネにして乗り越えてこいということだろうけど。99%の生徒はつぶれるだろうなあ。それでもフレッチャーは、天才ならつぶれないと考えている。彼にとって一人の才能を開花させるためなら他はつぶれてもいいのだろう。

練習前、バンドに加わったばかりのニーマンにフレッチャーは語りかける。両親の職業や家庭環境を細かく聞きだす。ニーマンはフレッチャーに関心を持ってもらえたのが嬉しく、丁寧に答える。ところが練習に入るとフレッチャーの穏やかな態度は豹変する。ニーマンがミスをするたびに「おまえの下手くそなドラムは負け犬の父親にも及ばないぞ!」とか「そんなことだから母親はおまえたちを見捨てて家を出ていくんだ!」とか、もう、いってはならないことのオンパレードだよ‥‥。この人、いつか刺される。

罵倒の嵐で、物も投げるし、ドラムをぶっ壊すし。ドラム叩きすぎてニーマンの手から血は飛び散る。スポ根を超えているぞ。

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天才を生み出すことに憑りつかれたフレッチャーから繰り出される罵倒の連続に生徒たちは極限まで追い込まれる。

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この迫力のあるお顔。そりゃ、こんな顔で毎日怒鳴られたら泣きますよ‥‥。周りも凹んでしまい、傍観するのみという。明日は我が身なのです。

フレッチャーはいきすぎた熱血スパルタ教師なのか、ただのいかれ男なのか、得体の知れないところがまた魅力的なんですよね。

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ニーマンはフレッチャーを憎みながらも、強烈に感化されているように見える。せっかくできた恋人にも「今はジャズのことしか考えられない。君に会っている時間はない」と切り捨ててしまう。

フレッチャーにしろニーマンにしろ、芸術のためなら人が死んでもかわまないと考えている節がある。フレッチャーのために鬱病が悪化して自殺した生徒もいるのだけど、そのことについて彼が反省する様子はまったくない。フレッチャーは音楽大学を辞めることになるが「教え子たちは俺に感謝しているはずなのに」とケロッとしているんですね。

芸術のためならば人は何をしてもよいのだろうか。フレッチャーが仕掛けてくる終盤のプレッシャーはすさまじい。最後の演奏会の場面を見て、フレッチャーはニーマンを許さなかったとか侮辱したかったとか思うかもしれないが、それは違うように思えるのだ。そもそも音楽を辞めていたニーマンを再びスカウトする理由がない。フレッチャーはニーマンに期待していたように思える。かつてコノリーをバンドにスカウトしてニーマンを刺激したのと同様、今回も極限のプレッシャーを与えてもう一度ニーマンにチャンスを与えたかったのではないか。発想が狂ってるけど。

ニーマンが勝手に演奏を始め「合図を出す」という場面がある。ニーマンの圧倒的な演奏でずれたシンバルをフレッチャーがそっと直してやる。あの行動は、あの場に発生した芸術に共感し感動したために思える。はじめてフレッチャーとニーマンの力関係が入れ替わった瞬間なのだ。芸術の前では師弟関係や、憎しみ、これまでの壮絶な仕打ちも、つまらないものでしかない。そんなことはどうだっていい。だから、フレッチャーは教え子であるニーマンに従う。

本当にねえ、狂っていますよ。すばらしい。これは凡人が理想とする天才像に思える。天才はこうあってほしいという。本当に優れた能力がある人は、こんなことをしなくても才能を発揮できるように思えるけども。

彼らにとって音楽とはなんなのだろう。楽しいものではないのか。ニーマンは大学を退学後、フレッチャーに再会するまでドラムをやめていたように見える。本当に音楽が好きならば退学は関係なくドラムを続けていたように思うのだ。

フレッチャーの指導を肯定する気はまったくないし、いいことだとは思わない。ただ、天才という異質なものを一般論で語っても仕方がないとも思う。あくまでフィクションということは重々承知しつつも、いやあ、これはどうなんだろうねえ。万人が手放しで「面白い」という映画ではないですがお薦めです。芸術に奉仕する人はこうあってほしいなあ。ちょっと困った人ばかり出てくる映画です。


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4 Comments

黒犬  

【ネタバレあり】
飛行機の中で見ました。
見終わった後の率直な感想は…
「狂ってるなぁ…」と(笑)

これは全くの偏見になりますが、私の中の芸術家のイメージを一言で言うと「固執狂」です。
自分が満足・納得するまでは周りの意見など聞かないし譲らない。行く道を邪魔する者がいようものなら、殺してでも排除する。
そこには「何かを生み出す楽しさ、喜び」などというものは存在せず、ただただ自分の、自分だけの満足と納得の追求があるだけ。
そんなイメージなんですが、フレッチャーはまさにこれだな、と。

彼にとってニーマンは「育てたかった天才の卵」というよりも、自分の満足する演奏を完成させるためのパズルの1ピースにすぎなかったのでは?と思いました。
それ故にニーマンがバンドを去り、フレッチャーが大学を辞めた後、彼はニーマンを積極的にもう一度音楽の道に戻そうとはしなかったのでは?
もしもフレッチャーにとってニーマンが「卵」であるならストーカーのごとくつきまとい、ニーマンがどれだけの才能と可能性を秘めているか説得し、自分ともう一度音楽をやっていこうと執着するのではないかと。

彼がニーマンを再びスカウトするきっかけになったのは偶然の再会でしたし、その時にやはり彼が思ったのは彼の中の「芸術」を台無しにしたニーマンへの復讐だったのではないでしょうか。
彼にとってニーマンが卵でないなら、それこそ彼を再びスカウトする意味が無いですし、楽譜を故意に渡さなかった理由も解らなくなってしまう。
極限のプレッシャーというよりも、「俺の芸術を理解できないオマエみたいなヤツが俺と同じ音楽の道を歩むのは我慢ならん!別の道を選ばざるをえないように、徹底的に潰しておく!」という思考だったように感じました。

しかし彼の思惑は外れ、ニーマンはフレッチャーの求めていた「完璧な演奏」を生み出し、初めて彼を「自分が求めていたもの」と認識したのではないか、と。
フレッチャーがシンバルを直したのはその象徴的なシーンと私は捉えました。

まぁ、何にしても狂ってますよ。
私も物を作る仕事してますけど、芸術家ではなく職人でありたいと思っています。作ることにこだわりはあれど、そこに込めているのは「使ってくれる人の役に立ちますように」という願いだけです。
あら、犬なのに何だか良いことを語ってしまった(笑)

2016/12/22 (Thu) 11:38 | EDIT | REPLY |   

しゅん  

To 黒犬さん

いやあ、本当に狂った作品でしたねえ。

>彼にとってニーマンは「育てたかった天才の卵」というよりも、自分の満足する演奏を完成させるためのパズルの1ピースにすぎなかったのでは?と思いました。

なるほどー。フレッチャーにとってはそこに芸術を存在させることができれば、それが誰でも良かったのかもしれませんね。

物語の序盤で、フレッチャーの教え子が死んでしまい悲しみますが、あれも彼が死んだことより、芸術を生み出すことのできる人間が死んだということが悲しかったのかもしれませんねえ。つくづくすごい人である。頭おかしいけど。

でも、物事を作り上げるこだわりみたいなのに惹きつけられもしました。変わった作品でしたねー。

2016/12/26 (Mon) 01:45 | EDIT | REPLY |   

黒犬  

そう言えば主演のマイルズ・テラーとJ・K・シモンズですが、どこかで見た顔だと思ったら2人ともマーベル絡みだったんですね。テラーは『ファンタスティック・フォー』(リブート版の方)の主人公(ゴム人間)、シモンズは『スパイダーマン』の新聞社編集長、と。
何だかシモンズは怒鳴る役が似合う人ですね(笑)

ところで1つわからなくて質問なんですが、ニーマンがスカウトされた初日、フレッチャーから「6時集合」と言われたのに寝過ごしますよね。慌てて集合場所に向かうも、練習は9時からだった、というシーン。
あのシーンの意味は何だったのでしょう?
てっきりフレッチャーが待っていて、初日からニーマンが精神的に地獄を味わうのかと思ったのですが…
何かの伏線だったようにも見えませんでしたけど…

2016/12/26 (Mon) 13:19 | EDIT | REPLY |   

しゅん  

>そう言えば主演のマイルズ・テラーとJ・K・シモンズですが、どこかで見た顔だと思ったら2人ともマーベル絡みだったんですね。

ファンタスティック・フォーは未見なのですが、スパイダーマンにJ・K・シモンズが出てたんですね。全然気づかなかったー。そういえば編集長、怒鳴っていたような‥‥。


>ところで1つわからなくて質問なんですが、ニーマンがスカウトされた初日、フレッチャーから「6時集合」と言われたのに寝過ごしますよね。慌てて集合場所に向かうも、練習は9時からだった、というシーン。
あのシーンの意味は何だったのでしょう?

ありましたね、そんな場面。なんでしょうかねえ。理由も説明されないですし。
「おまえはここでは下っぱで新入りなんだから、一番最初に来て練習しとけよ。これからビシビシいくから舐めるんじゃないぞ」ということなのかなあ。

うーむ、フレッチャーさんの考えていることは本当によくわからない。

2016/12/27 (Tue) 00:16 | EDIT | REPLY |   

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