06
2017

ジュラシック・ワールド

JURASSIC WORLD / 2015年 / アメリカ / 監督:コリン・トレヴォロウ / SF
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人の行いは自然の摂理の内か外か。
【あらすじ】
遺伝子操作で作り出した恐竜が逃げ出した。



【感想】
シリーズ一作目「ジュラシック・パーク」は1993年に公開された。CGで作られた恐竜がいきいきと動くのを観て驚いた。もう20年以上前の作品なんですね。シリーズ四作目となった「ジュラシック・ワールド」では、恐竜がいるのはもう当たり前になっていて恐竜のテーマパーク内で物語が進行していく。テーマパークはUSJみたいでワクワクする。行ったことないけど。

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強化ガラスでできたボールのような乗り物が未来っぽくていい。でも、これぐらいかなあ、目新しい物って。

今回はモササウルス(下)が活躍してましたねえ。サメちゃんを一飲みに。怖すぎるぞ。ジュラシック・ワールドでは残酷なアトラクションが大流行りである。

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今やただの恐竜を出しただけでは物珍しさもない。観客はより牙が多いもの、恐ろしいものを望んでいる。というわけで科学者(右)は暴走して厄介な恐竜を作ってしまうのだった。いいぞいいぞ。

オーナー(左)は科学者の暴走に怒り心頭。

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新しく作られた恐竜は擬態能力があり知能も高い。頭の良さをいかして飼育エリアから脱走を図りパーク内は混乱に陥る。

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いかにも悪そうなお顔の恐竜。オーナーは「誰があんなモンスターを(作れといったのか!)」と怒りだす。科学者は「インコにとっては猫もモンスターだ」といい返す。なるほどー。相対化してしまえば、そうともいえる。でも、猫は人間を一口で食べないからな。科学者とオーナーのやりとりは楽しいですね。ここで自然の摂理について議論が交わされる。

これは前から疑問に思っていたのだけど、自然の摂理として認められる範囲、人が行っていい範囲というのはどこまでなのか。映画では、人間が遺伝子を操作して新種の恐竜を作り出すことを戒めているように感じる。それをやってしまうのは神の領域に踏み込むということなのかな。では恐竜の遺伝子から、過去の恐竜を忠実に再現するまでならOKなのか。遺伝子操作ではなく、動植物の品種改良は自然の摂理に反しているとはいえないのか。この問題を突き詰めていくと「人間」が「自然」に含まれるかどうかに行きつく。

人間も自然に含まれるならば、人間がやることすべてが自然の摂理のうちに入るように思えるのだ。環境破壊、クローン技術、大量破壊兵器を使った戦争、なんでもありになる。だが、なんでも許せばたちまち世界は破壊されてしまうだろう。そもそも「自然の摂理」という考え方は、どこかに神の存在を意識したものかもしれない。だからこそ触れてはいけない領域があるというような。

しかし「自然の摂理」は幻でしかなくて、そんな規範が存在しないならば、やはり人が自分たちで力をコントロールしていくしかない。なんだか映画と関係ない話を書いてるような。

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狂暴な生き物を作り出した科学者がオーナーに責められる。科学者は、その言い訳として「自分たちがやらなくても他の誰かがやっていただろう」と逃げる。このやりとりもニヤリとさせられる。

明白な悪事ではなくても、組織内にいて倫理や道徳に反する行為をするとき、しばしばこの言い訳が使われる。この言葉、本当に日常でも使われますからねえ。でも、自分がやってしまったら、やっぱりそれはいけないことなんですよねえ。他の人たちがやるかはまた別の問題である。この言葉を目の前で使われたことがあったので、ちょっと苦い笑いが出てしまった。

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ヒーローとヒロインはそれなりにがんばっておりました(適当)。ほら! 恐竜映画ですし! 恐竜が主役ならそれでいいじゃないか。

恐竜に対する憧れは子供の頃からある。人ではとても抗えない圧倒的な強さに惹かれるのかな。いくら偉そうなことをいってようが、何も持たない状態で恐竜に出会ったらひとたまりもない。その圧倒的なまでの絶望感に惹きつけられるのかなあ。サメや熊にも惹かれますが、でも恐竜ほどではない。

大きいことはいいことだ! 恐竜を撮るためにCGがあるのだ! そう思える映画でした。恐竜ファンの人にお薦め。モササウルスががんばっておりました。


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