09
2017

ユーリ!!! on ICE

2016年 / 日本 / 監督:山本沙代、原案:久保ミツロウ、山本沙代 / スポーツ / 全12話
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僕のために金メダルを獲れ。
【あらすじ】
フィギュアのチャンピオンがなぜかコーチをしてくれた。



【感想】
まったく知らない世界を見せてくれる作品は観ていて楽しい。フィギュアスケートはほとんど観ることがなかった。この作品をきっかけにフィギュアに興味を持つ人も増えるかもしれない。

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日本中の期待を背負って臨んだグランプリファイナルで勝生勇利(かつきゆうり)は惨敗。引退が頭にちらつく中、九州に帰省する。突如、勇利の元に世界選手権5連覇の王者ヴィクトル・ニキフォロフがやってくる。ヴィクトルは勇利のコーチを務めることを申し出る。勇利はヴィクトルをコーチに迎え、二人はグランプリファイナル優勝を目指す。

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躍動感のある氷上の動きはすばらしく、主人公が少しずつ強くなっていく様子も頼もしい。フィギュアを観ている人にとっては常識なのだろうけれど、基本的な解説が挟まれているのもありがたい。前半にミスをしたため、プログラムの構成を変えて後半に勝負を賭けることがあったり、後半に難易度の高い技を出せば体力的にきつくはなるが評価は高くなるとか。



◆芸術性の評価について
フィギュアのよくわからないところが演技構成点なのだ。フィギュアの得点は、技術点と演技構成点を足したものから減点されたものが最終的な得点となる。演技構成点の要素は5つあり、それぞれ10点満点で採点され、その合計点数に係数を掛けたものが演技構成点になる。ほら、もう、おまえ何をいってるんだという。

演技構成点は、曲の解釈だとか、芸術的要素について点数が付けられる。だが、はたして芸術的要素を客観的基準で採点できるのかという疑問があった。陸上競技ならタイムが速い人が勝ち、サッカーならゴールラインを割ったら1点という明快さがある。芸術性となると、ある一定のレベルに達していればあとは「審判の好み」ということになるのではないか。その疑問は最後まで解けなかった。芸術性の評価の曖昧さがフィギュアを観ない理由になっていた。

もう一点、フィギュアを観なかった理由があって、衣装が色っぽいということ。必死に演技をしている選手がいて、その選手に対して色気があるとか、性的な感情を抱くのは失礼なのではないかと思っていた。なにせ、辞書でいやらしい言葉を引くだけで興奮できる自信があるんだ、こっちは。積み重ねたキャリアが違うんだ。

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だけどこのアニメを観て良かったのは、まさに演技構成点の曲の解釈についてだった。主人公の勇利はコーチのヴィクトルから課題曲を与えられる。テーマはエロスだった。だから、観客を誘惑するような色香を漂わせていてもいい。それは曲の解釈に成功しているという観方ができる。今までは「美人アスリート」など容姿を褒める言葉は、スポーツ選手を侮辱する言葉でしかないと思っていた。選手は技術を褒められてこそ価値があると信じていた。だが、フィギュアのような芸術性の評価もある競技の場合、そういった言葉も失礼にはならないかもしれない。

フィギュアの観方について、少しだけわかってきたような。そうでもないような。



◆同性愛表現について
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このアニメでは勇利がヴィトクトルにペアリングをプレゼントしたり、まるで結婚の申し込みのように見える場面もある。頬を赤らめたり、同性愛的表現を感じる箇所も多い。

映画で同性愛を扱う場合、周囲の偏見、差別との戦いがあり、社会と対決する覚悟がうかがえるものが多い。この作品の場合、そういった覚悟はない。周囲は、ごく自然に勇利とヴィクトルの仲の良さを受け入れており、差別的扱いは受けない。もっとも、勇利の成長を描くのに手一杯で同性愛というテーマを入れる余裕はないようにも思えた。だから同性愛といっても軽やかで、視聴者を惹きつける一要素として、サービスとしての同性愛という印象。

これがいいのか悪いのか。フィギュアを純粋に観たい人にとっては邪魔に映るかもしれない。でも、男がイチャイチャしているのを観たいという人だっているかもしれない。だが、あからさまに同性愛的描写を入れなくても、そういうのが好きな人たちは勝手に二次創作でがんばりそうだけど。がんばるなといっても、がんばってしまう。あなたたちにはそういうところがある。

どうせなら、多くの人に観てもらうように控え目にしてもと思うのだけど。純粋にフィギュア作品としてよくできているので、同性愛描写が嫌いだから観ないとなると惜しい。



◆勇利の愛の解釈
曲の解釈について恋愛経験の少ない勇利は苦しんでいた。葛藤の末、「カツ丼への愛」というわけのわからない解釈をして踊っていた。無茶苦茶である。やがてカツ丼から、ヴィクトルへの愛情に変化していくように見えた。

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シーズンが進んでいくと、勇利はみずからの進退とヴィクトルの今後について思いを巡らすようになる。ヴィクトルというフィギュア界の財産を自分が独占していていいのかと悩む。ヴィクトルの選手としての人生は残りわずか。貴重な競技人生を自分のコーチのために棒に振っていいのかと考える。

愛には異性愛だけでなく、さまざまなものがある。尊敬が含まれる師弟愛、友情、子が親を、親が子を思う愛情、圧倒的な才能への憧れも愛かもしれない。それらはきれいに分離できるものではなく混ざり合っているのだろう。勇利が最後にたどり着いた場所は、競技者としてのヴィクトルの復帰だったのではないか。自分は競技から身を引いて、コーチであるヴィクトルをクビにして、彼を再びリンクに立たせるという。それが勇利の選んだ愛情のように思えるのだ。

勇利はずっとヴィクトルに憧れてスケートをしていた。スケートをする動機にもいろいろあって、ユリオのように一番になりたい、強さを証明したいという姿も美しい。

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カザフスタンのオタベック・アルティンは国のため、タイのピチットはフィギュアの人気を自国で高めて、やがてはタイでアイスショーを開催する夢がある。みな、動機はそれぞれ違う。でも、勇利の動機というのはちょっと弱いような気がしたのだ。敬愛するヴィクトルのため、自分ではなく誰かのためというのは弱いのではないか。

そう思ってたのだけど、観ているうちにそれもありかなあという。単純に、わたしががんばっている姿に弱いだけかもしれんけど。



◆ヴィクトルが勇利のコーチを務めた理由
これがやはりこの作品の肝に思える。わがまま放題の気まぐれ野郎にも、何か理由はありそう。

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きっかけとしては勇利とのダンスバトルあれやこれやですが、そこはあまり関係なくて、やはり倦んでいたのではないか。世界選手権5連覇を成し遂げてしまい、今一つ戦う情熱が燃え上がらないという。

そこで可能性のある勇利を育て、また、勇利のライバルとしてユリオを育て上げることで、結局は自己のライバルを作りたかった。燃えるものが欲しかったように思えるのだ。二人ともヴィクトルの出した自己ベストを超えてきたことで、ヴィクトルは復帰を決意する。

勇利の引退を撤回させたのはヴィクトルからすれば当たり前で、これでようやく面白くなってきたというところだろう。劇場版では勇利、ユリオを倒して自分が最強であるということを証明してくれるはず。思えば、どこまでも勝手な人である‥‥。だから好きなんだけど。勇利があっさりと引退を撤回するのは、やはりヴィクトルへの愛情かもしれない。


メンタルの課題を克服できればどんなジャンプも跳べてしまうなど、ちょっと都合がよいところはあるにせよ、とても楽しめました。ディーン藤岡さんが歌うオープニングもいいですね。試合の場面はああいった墨絵のようなタッチでも面白かったかも。フィギュアスケートの魅力が伝わる作品でした。劇場版が楽しみだなあ!


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