FC2ブログ

旧作映画の感想、ネタバレしてます。
21
2018

聲の形

2016年 / 日本 / 監督:山田尚子、原作:大今良時 / ドラマ / 130分
d1__201806281429506bf.jpg
いじめは、いつの日か許されるのか。
【あらすじ】
過去に聴覚障害の少女をいじめていた。



【感想】
アニメ「けいおん!」「AIR」「涼宮ハルヒの憂鬱」「日常」などを制作した京都アニメーションが制作。監督は「けいおん!」の山田尚子監督。まだ30代前半なのですが、すごい監督ですね。この監督の過去の作品を追いかけようかなあ。

dV1__20180628142947df4.jpg

クラスのガキ大将的存在の石田将也。

クリップボード01r

ある日、クラスに先天性聴覚障害を持つ少女西宮硝子が転校してくる。クラスに馴染もうとする硝子だったが、耳が聞こえないためにうまくいかず、将也たちからいじめの標的にされてしまう。硝子をかばってくれた佐原みよこは、クラスからいじめを受けて不登校となる。硝子へのいじめから学級会が開かれるが、将也は一緒に硝子をいじめていたはずのクラスメイトたちから激しい糾弾を受けてしまう。いじめの矛先は以後、将也へと向かい、将也はクラスで孤立していく。硝子は転校してしまう。

ddV1__20180628142949b96.jpg

中学、高校も孤立していた将也だったが、硝子への自責の念から手話を学習していた。そんな、ある日、偶然に将也は硝子と再会する。

小学校時代のいじめがひどく、序盤は観ていて腹立たしくなる。そんな残酷ないじめを行っていたはずの将也なのだけど、なぜかそれほどひどい人間に見えないんですよね。家庭はシングルマザーのようだけど、母親もちゃんとした人で問題があるようには見えない。将也はどこにでもいる普通の子供に見えるのだ。

cal.jpg

たしかに将也がきっかけでいじめは起こったものの、クラスの人間は程度の違いはあれどいじめに加担していた。単純な加害者、被害者という図ではなく、加害者であった将也は次の被害者となった。その影響は彼の人生に暗い影を落とし、高校時代まで人間関係の不安を引きずっていく。人の顔がまともに見られなくなってしまう。


【自分はどのタイプか?】
この映画にはさまざまなタイプの生徒が出る。いじめが発生したとき、自分が当事者ではなくても、登場人物のどこかに自分がいるように思える。なかでも恐ろしかったのが、川井みきという生徒だった。クラスメイトの植野直花ほど意識的に硝子をいじめたわけではないが、硝子を孤立させるような行動をとっている。そして、硝子をいじめたという自覚はない。将也から、硝子へのいじめを指摘されたときも「自分はいじめを止めようとしていた」と主張する。川井みきは意図して嘘をついているわけじゃないんですよね。本当にそう信じ込んでしまっている。川井みきのたちの悪さはとても身近なものに思えるのだ。

なんだかクラクラしてしまった。目の前でいじめが起きたとき、多くの人は積極的に加担しないにしろ、川井みきのような行動をとって自分を守ろうとするのではないか。この嫌悪感の原因は、川井みきが犯している過ちを自分が犯しているかもしれないことへの不安感、恐怖感かもしれない。それでいて川井みきは、いじめを止められなかった被害者のような顔をしているのが本当に気持ち悪いのだ。

u__2018062814294654a.jpg

【誰もが当事者になり得る怖さ】
いじめというと、ものすごく性格が残酷な子供がいて発生する場合もあるのかもしれないが、この映画のように障害があってクラスに溶け込めないだとか、性格が内向的だとか、他人との差異が原因で発生し、エスカレートすることも多いのかもしれない。明らかな悪意の結晶という場合だけでなく、いつの間にかそういう状況になっているというような。

言い古されていることですが、誰もが加害者にも被害者にもなり得るような恐ろしさがある。また、加害者でありながらそれと気づいていない人もいる。将也は過去の罪について高校時代に再び制裁を受け、友人を失うことになる。当事者であった硝子はもはや将也を許していたようにも思えるし、将也は硝子に謝罪をしていた。それでも果たして将也は許されないのだろうか。この罪はいつまで背負うべきなのだろう。いじめがふとしたきっかけで始まったものなら、ここまでの制裁を周囲が与えることが果たして正しいものかと思う。そして周囲が与えた制裁は、将也へのいじめとはならないのだろうか。


【硝子の自殺の原因】
一つわからないことがあって、高校時代の硝子の自殺未遂である。硝子は自分を責め続けていたということなのだろうか。祖母の病死も、妹の不登校も、ひょっとしたら硝子の家がシングルマザー(はっきりと描写されない)なのも、硝子に原因があると考えたのかもしれない。祖母の病死は別として、妹の不登校とシングルマザーに関しては、硝子の耳が聞こえないことが影響してないとは言い難い。それが彼女の責任ではないにしても。

硝子の自殺というのがあまりに唐突で心情がわかりにくかったのだ。これは描写の不足とか、登場人物の性格設定に欠陥があるとかいう話ではなく、そもそも人の心は推し量りがたいものということなのかな。将也にしてみれば青天の霹靂であっても、硝子にとっては当然の帰結でしかないような。


【いつかは罪は許されるものなのか】
犯した罪を償うことは本当にできるのだろうか、ということを考えていた。時間は不可逆なのだから、どんな小さな罪も償うことなどできないのではないか。ただ、被害者の側に立つのなら、それでも罪を許したほうが楽に生きられるように思うのだ。誰かを恨み続けて時間を使い続けることのほうがもったいない。でも、被害者は理解はしていても恨まざるを得ない辛さがあるのだろうけども。

将也は他人と関わらないようにし、自分が心を開く相手以外は顔に×マークがついていた。映画の最後には×がすべて剥がれ落ち、社会との関りを持とうとする希望ある終わり方になっている。「人間」というのは不思議な言葉で、なぜ「人の間」と書くのか、「人」ではないのかとずっと思っていた。人と人に囲まれて生きていくのが、望にしろ望まないにしろ私たちの在り方なのか。人の間にあれば、人を傷つけることも、人から傷つけられることもある。それを許し合わなければ先へ進めないように思える。

この映画は今まさにいじめを受けている人にとって救いになるものではないかもしれない。だが、誰かをいじめてしまいそうな人、周りにいじめが起こっている人にとって、正しい対応をとる勇気を与えてくれる作品かもしれない。多様な受け取り方がある映画で、だからこそ価値があるというか、一度は観たほうがいい映画だと思いました。内容はやや重いですがお薦めです。

永束くん、いいキャラだったなあ。うんこ頭と、言われるけど。いいうんこ頭ですよ。


関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment