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旧作映画の感想、ネタバレしてます。
21
2020

イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

Exit Through the Gift Shop / 2010年 / イギリス / 監督:バンクシー / ドキュメンタリー / 87分
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【あらすじ】
バンクシーに密着していたら、いつの間にか撮影されてた。



【感想】
撮影マニアのティエリー・グエッタはさまざまなストリートアーティストに密着して撮影を行っていた。ティエリーは、覆面アーティストのバンクシーを撮影する機会を得る。バンクシーはティエリーに映画を撮ることを勧め、ティエリーはバンクシーの勧めるままに映画製作を開始する。だが、ティエリーに映像センスがないと気づいたバンクシーは、逆にティエリーを主役としたドキュメンタリーを撮り始める。ティエリーはアーティストたちに触発されたのか、自分もストリートアートの真似事のようなことをやりだす。

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なんとも奇妙なドキュメンタリーだった。最初はバンクシーについてのドキュメンタリーかと思っていたら、密着していたティエリーがやがてみずからもアーティストになろうとし、やがては個展を成功させてしまうのだ。

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俺の絵は1枚100万、200万、当たり前やでぇ~と調子に乗り出すティエリーさん。ちょっと前まで古着屋のおじさんだったのに‥‥。態度もちょっと偉そうに。人は変わる。

それだけならばティエリーという男の成功譚で終わるのですが、この人がね、ちょっと普通のアーティストとは毛色が違う。

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バンクシーは劇中のインタビューの中で「アーティストは苦労してそれぞれの個性を確立する」と語っており、ティエリーについてはその過程を「すっ飛ばした」という。

私は美術について門外漢で何もわかりません。ですが、ティエリーのやり方についてはちょっとというか、かなり疑問に思うところもあるのだ。

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これはアンディ・ウォーホルの『32個のキャンベルスープの缶』。有名ですし、どこかで見たことがあるかもしれない。アンディは作品について「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と語るものの、言われれば言われるほど何か意味があるのではないかと思うし、人はスープ缶の羅列に、資本主義や大量消費批判などの意味を見つけたがる。アンディが描いたスープ缶は同じように見えて、よく見ると一つ一つ違う商品なんですよね。ここら辺にも何か意味を見出してしまう。同じように見えて少しだけ違う私たち自身の存在とか。でもその違いはスープ缶自体にとっては大きいが、スープ缶を見る者にとっては、ごくごく些細な違いでしかないとか意味を見つけ出すときりがない。

作品の意味は私にはわからないものの、キャンベルのスープ缶を見れば、ああ、アンディ・ウォーホルだなと思う。明確なスタイルが確立されている。

で、ティエリーはみずからMBW(ミスターブレインウオッシュ=洗脳)と名乗り、芸術活動を開始して作品を発表していく。

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しかし、ティエリーのこの作品などはアンディのキャンベルスープの缶をスプレーにしたものなんですよね。ティエリーはみずから絵を描かず(描けないように見える)、人の作品を加工して作品を生み出していく。私のような素人の目から見ると「パクリなのでは?」という。

アンディだってキャンベルスープの缶をパクっただろうと言えば、それはそうかもしれないが、缶を羅列して見せることで、鑑賞者にとっては意味が発生していたし、アンディのスタイルとして認知されてもいた。ティエリーが他のアーティストと違うところは、平気で他人のスタイルの上に自分の作品を築くところに思える。バンクシーが語ったように、普通のアーティストは自分の個性の確立にこだわるが、ティエリーにはそれがない。もう、かまわずどんどんいくのね。アンディの他の作品、マリリン・モンロー、ジョン・レノン、エルヴィスなども、みんなパクる。隠すどころか、堂々といく。

だからなのか、彼の成功について他のアーティストにインタビューすると、ちょっとみんな半笑いで複雑な顔をするんですよね。かつては自分たちに引っついて撮影していた男がパクリだらけの個展を開き、しかも大成功させてしまうという。嫉妬もあるだろうけど、しかし、あれはなしなのではないかという。もう笑うしかないんじゃないかな。

でも、ティエリーがやっていることが反則なのかどうか私にはわからない。古典落語などは人が考えた面白い話をくり返し演じているし、歌やクラシックなども同じで、だからといって批判されるわけではない。映画なども名作はリメイクされる。演者によって個性が現れるし、別の作品のようになることもある。美術だけが他人の作品の模倣を禁じる理由はない。しかし、ティエリーには思想や哲学が欠如し、ただパクっただけに思える。

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だが、仮にそうだったとしても、ただパクって何が悪いのとも思えるのだ。作品に思想や哲学が存在しなくてはいけないかというと、それもわからない。観た人が「いい」と心の底から思えば、それでいいのかな。本当に思えば、だけど。

ティエリーは古着屋の経営者で成功していたこともあり、生粋の商売人なのだろう。彼は全財産を注ぎ込んで個展を企画しており、機を逃さず勝負を掛けた。それはなかなかできることではない。個展が開催される前から、噂を聞きつけた人たちは彼の作品に高値をつけて買い漁っていく。もうすでに投機対象になっているのだ。

タイトルの「Exit Through the Gift Shop」だが、タイトルについて説明がなされるわけではない。「怪しい土産物屋で変な物をつかまされず、さっさと出口に向かえ」そんなメッセージなのかな。思えば美術の値段ほどよくわからないものはない。まさに得体の知れない土産物屋。値段の根拠がまったくわからない。バンクシーはここら辺を笑ってタイトルをつけたように思える。

去年あたり、都内でバンクシーの作品かもしれないネズミの落書きが見つかり、小池都知事がそのネズミの横ではしゃいで写真を撮った。行政の首長として落書きを許すのかとか、その話はおいとくとして、あれが普通の人の態度に思える。

本人に審美眼はなく、バンクシーという有名なアーティストなら何百万円の値段になる。だから無邪気に喜んでいる。それはお金とブランドの話でしかないんですよね。高くて有名だからいいんでしょうという。名前もわからないある落書きに感動し、消すのが惜しいと思ったら、そこに芸術は存在するのかもしれない。そうやって優れた作品は認められていくべきなのかも。でも、多くの人はそうではない。高い物や有名な物を無条件にありがたがる。本物を見抜く目があるならばティエリーの作品に高額な値段はつかなかったようにも思う。だが、実際にティエリーの作品は高値で売れ、個展は成功したのだ。虚構に思えたものが金を生み、金を生んだからもうそれは虚構ではなくなったのか。バンクシーは、この狂った現象そのものを作品として提示したように思える。とても変わったドキュメンタリーでした。

一つ気になるのは、ティエリーが仮にバンクシーの絵をパクって作品を作ったら笑って許すのだろうかということ。許しそうな気もする。

アートについてまったく考えたことがなく、人の心を動かすものという曖昧な印象しかなかった。アートとはなんなのだろうと思わされました。本当は作品とお金は切り離して考えるべきなのかもしれない。すばらしい作品が高いというより、今その作品はその値段で売られているだけで、本質的に作品の価値と金銭的価値に結びつきはないように思える。


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