06
2012

コクリコ坂から

2011年 / 日本 / 監督:宮崎吾朗 / 青春・恋愛

【あらすじ】1963年の横浜。日本は高度経済成長期に入っている。翌年には東京オリンピックを控え、町は活気に溢れていた。高校の文化部部活棟「カルチェラタン」の保存活動を通じて知り合った風間俊と松崎海はお互いに惹かれあう。君たちはすぐお互いに惹かれあうからなー。油断ならん。



【感想】
文化部の部室が集まる「カルチェラタン」。埃にまみれ、蜘蛛の巣が張り、得体の知れない魔窟のようだが学生たちの愛着はつまっている。そのカルチェラタンを学校側は取り壊そうとしていた。それに反対した学生たちは、生徒会長の水沼、新聞部の俊を中心として反対運動を行う。

学生たちが団結してカルチェラタンの清掃を行ったり、学生新聞を発行する。こういった行動が違和感なく成立するのは、1960年代の安保闘争が行われた時代だからかもしれない。自治意識の強さというか。今だったら、部活棟の取り壊しが行われようとも、学生たちはさして興味を持たないのではないだろうか。わたしなどは「取り壊しすですか? あ、そうなんすかー?」と、他人事である。団結しない自信がある。

反対運動の集会で学生たちが肩を組んで歌いだす場面は、まさに安保闘争の学生たちがインターナショナルを歌いだす場面を彷彿とさせた。わたし、見てきたように言いますけど、生まれてなかった。ただ、ずいぶんと学生運動を意識させる作りになっている。宮崎駿は1941年生まれなので、ちょうど安保闘争の世代に青春時代を送っている。

カルチェラタンの保存活動についてどう感じるかが、この映画を好きになるか分かれ目の一つだろう。反対集会での風間俊の言葉には力がある。
「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!」
たしかにそうだと思うものの、カルチェラタンてそれほど保存する意義があるものかがよくわからない。そもそも3年で卒業するからな、と思ってしまう。そういういい加減さがよくないのかもしれんけど。

新しいものに飛びつくのも愚かなら、かたくなに古いものにしがみつくのも問題である。危険ならば取り壊して新しいものを作り、そこでまた思い出を作ればよいと思う。使えるなら残せばいいし、危険なら壊せばとしか思わない。ここがこの映画に乗れるかどうかなのでしょう。

結果としてこの保存活動が実ってですね、決定権のある理事長も「よっしゃ! おまえらがんばったみたいだし、カルチェラタンは残したるわ! グワハハハ!」みたいなことになります。なーんだろう、それって。結局、大人の気分しだいかと思うと複雑である。

どうもカルチェラタンの保存活動が、学生運動を暗に示しているように感じて仕方ない。そして学生運動が結局は子どもの遊びでしかなかったという辛辣な皮肉のようにも思える。宮崎駿は怖い人だから、それぐらいの皮肉はこめそうだけど。学生たちの闘争に共感し、その真摯な情熱は良しとしてカルチェラタンを存続させるというご褒美を与えつつも、実はそれが大人の掌を出ていない。釈迦の掌にいる孫悟空のようなものを感じさせた、といえば少し意地が悪い観方かもしれない。

ただ「冷笑」とか「嘲笑」という感じは受けないんですよね。どちらかといえば、若い人を見守る優しさのようなものを感じるし、あの時代が持っていたであろう真摯さ、情熱に対しての郷愁も感じる。



しかし、絵が懐かしてくいいですね。眺めているだけでも十分に楽しい。今は見かけないオート三輪などの乗り物、丸っこい路線バス、活気ある商店街、家電製品。自分が生まれてないのだけど、懐かしい絵である。そして登場人物のまっすぐな言葉、自分で全部なんとかしてやろうという心意気に惹かれます。

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