13
2013

映画「クィーン」

クィーン
2006年 / イギリス、フランス、イタリア / 監督:スティーヴン・フリアーズ / 実在の人物をもとにした映画


悩めるおばあちゃん。
【あらすじ】
ダイアナ元皇太子妃事故死の波紋は大きく、イギリス王室は混乱していた。

【感想】
1997年8月31日にダイアナ元皇太子妃がパパラッチの追跡を振り切ろうとして事故死した。このときすでにチャールズ皇太子とダイアナは離婚していたため、エリザベス女王(ヘレン・ミレン)はなんのコメントも出さなかった。その態度にイギリス国民の不満は高まり、王政廃止を要求する声もあがる。王室は国民の怒りにとまどっていた。

劇中でダイアナの映像がしばしば挟まれる。その場面は俳優を起用せず、本人の映像なので、ボーっとしているとドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥る。ヘレン・ミレンのエリザベス女王がすばらしいのも、よりドキュメンタリー感を増幅させている。

だが、これは映画であって事実ではないんですよね。他の映画だって事実ではないものの、エリザベス2世やトニー・ブレア元首相は存命である。そうすると利害得失が生じる。国のトップという立場上、思っていることと表現することがまったく異なる場合もあるだろう。

この映画はかなり王室やトニー・ブレアに好意的だ。しかし、どこまで彼らの真実の姿を映しているのか、そう考えてしまうとなんだかモヤモヤするのだった。うーん、映画はよくできてると思いますけど。よくできているからこそ混乱するのか。

ダイアナの死について女王はなんのメッセージも出さなかった。本当のところ女王がどう思っていたかは別として、映画での女王はダイアナを嫌っていない。

王室の人間が鹿狩りをする場面がある。目標の鹿に偶然遭遇してしまった女王は、鹿の美しさに見惚れ、王室の人間に見つからぬよう鹿を逃がそうとする。この鹿というのはダイアナなんですよね。王室とダイアナの価値観はそぐわなかったものの、個人として彼女を憎んでいなかったということなのだろうけど。とても印象的な場面でした。

マスコミは女王を責め立て、テレビに映る国民の中には涙を流してダイアナの死を悲しみ、怒りを露にするものもいる。その様子を女王の夫であるエディンバラ公は、ダイアナに会ったこともないのになぜあんなに悲しめるんだと苦々しそうに口にする。正直なところわたしも似た感情があった。

王室と国民の温度差というのがこの作品のテーマの一つなのだと思う。女王は、おおげさな表現を好まない。静かに死を悼めばよいと考えていた。しかしそれでは現在の国民には伝わらないのだとブレア首相から諭されて考えをあらためる。女王は「国民は変わってしまったのか」と嘆きながらも、ダイアナの死を悼む声明を読み上げた。

おおげさな表現や単純でわかりやすいものが好まれるのだろう。この映画のキャッチコピーは「全世界が涙したその日、ただ一人、涙を見せなかった人がいた」である。べつにイギリスが全世界でもないし、イギリス人でなんとも思わなかった人もいただろう。また、なんともないように見えて悲しみに堪えている人もいただろう。女王が好まないおおげさな表現が、女王をとりあげた映画に使われているという。

で、ダイアナの死をマスコミが扇情的にとりあげて、それが女王を含む王室の批難に向かったわけですが、そもそもダイアナの死はパパラッチを振り切ろうとしての事故死とされている。そのパパラッチが撮った写真を買い取って、国民に流していたのがマスコミである。で、マスコミが「こらー!女王!ダイアナの死をもっと悼めー!」って言っているのである。

ただごとならぬバカヤロウ感というか、おまえらええかげんにせーよと思いますよ。全員丸坊主にしたらどうなんだ。その新聞なり雑誌なりを読んで無責任なことをあれこれ言うのは国民である。わたしは、大げさに嘆き悲しむ人と、王室のスキャンダルが載った新聞を買う人は同じ人なのではないかと怪しんでいる。結局あれこれ言いたいだけなのだ。ツイッターで「お悔やみ申し上げます」なんて言う人も怪しい。お悔やみツイートのすぐ後に「今日の昼はパスタ!」とか書きそう。

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