28
2013

映画「デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-」

デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-
The Devil's Double / 2011年 / ベルギー / 監督:リー・タマホリ / 実話に基づいた物語


最悪の人間に握られた権力。
【あらすじ】
イラクの独裁者サダム・フセインの長男ウダイ。不幸にも彼とうり二つの顔を持つラティフは、ウダイの影武者になることを強要される。

【感想】
ウダイの影武者であるラティフ・ヤヒアが書いた自伝が原作です。

影武者には二つの悲しさがあるように思う。一つは自分という個性を消さなければいけないこと。もう一つは、万が一のときには自分の命を犠牲にして本人を守らなければならないということ。だが、たとえ死ぬとしても、その命が大勢を救うためなら意味はある。しかし、守るべき対象が最低最悪の人間だった場合、これは、とてつもなく虚しい。

サダム・フセインの息子ウダイ(右)と影武者ラティフ(左)は、ドミニク・クーパーの一人二役です。ぬぬぬ‥‥、似ている!

同一人物だから当たり前ですけど。ラティフは高校時代にウダイと同じクラスだった。当時、周りからも似ていると言われていた。ウダイはラティフを影武者にすることを思いつく。で、ウダイさんがラティフに影武者になるかどうか選ばせてくれるんですね。

「影武者やるのを断れば、家族全員、刑務所送りです。さあ、やりますか、やりませんか?どっち!」って、しょっぱなから狂っとる。選択肢なんか存在しない。この人って、ずっとこんな感じなんだよなあ。街を歩いている女性をさらってレイプ、参加した結婚式の花嫁を気に入ってレイプ。拷問、レイプ、殺人、全部やりたい放題である。

影武者に嫌気がさしたラティフは、彼の側近に向かって言う。
「汚い仕事をする善人が彼を支えている」
彼のやることに嫌悪感を示しつつも、保身のために彼を守る人々がいる。ただ、これを責めるのも酷に思う。彼に逆らうということは、逆らった本人だけでなく、家族の拷問や死をも意味する。

絶大な権力を持った独裁者というのは、実はもっとも効率よく組織を発展させるものだと思う。企業の創業者などがそれにあたる。トップが倫理観と優れた判断力を持っていれば、独裁制であってもまったくかまわない。

問題なのは、いつかは優秀な独裁者も衰える。たとえ衰えずに死んだとしても、世襲制ならば二代目や三代目が無能ということもある。能力がないのは仕方がないことだし、周りが補佐することもできる。だが、残虐ならば手に負えない。

独裁制に比べて議院内閣制という日本の政治システムは、判断・実行に迅速さを欠く。多数の人間が関われば責任の所在がぼやけるという点もある。だが、それでも権力を制限することで、組織全体の安全装置が働く。独裁制は指導者の資質に依存しすぎる。急速に発展することもあれば滅亡を招くこともある。

ま、これ、映画とはそんな関係ない話だった。もう、ウダイについては観ているのがしんどくなるぐらい、ひどい人なんですよねー。まったく同情の余地はないものの、彼は虚しさを抱えていたのかもしれない。自分の要求はすべて満たされるが、誰も自分に本心を言ってくれない。どんな人間も言いなりになるし、高級品は全て手に入る。それは本当に愉快なのだろうか。結局、彼自身には何もなくて、彼がサダム・フセインの長男であるというだけにすぎない。誰も彼自身の価値は認めてくれない。

影武者のラティフは、ウダイの側近とは違って、命がけで彼に反抗することがある。でも、彼が殺されなかったのは、ウダイに対して本心を見せてくれる数少ない人物だったからではないかと思う。ラティフからするとウダイから好かれても、いい迷惑なんですけど。

主演のドミニク・クーパーのコメントが公式サイトに載っています。
「僕はあの男を嫌悪した。彼を理解できるような要素は何もなかった。あんな所業をした男の考え方に同調するのは僕の能力を超えていた」

そう語りつつも、完璧ともいえる一人二役をこなしたのは見事というほかはない。お薦めはお薦めなのですが、この映画、腹が立って気分悪くなるのが困りもの。


JUGEMテーマ:映画 
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment