23
2014

映画「ダウト ~あるカトリック学校で~」

ダウト ~あるカトリック学校で~
Doubt / 2008年 / アメリカ / ジョン・パトリック・シャンリー / ドラマ


スッパリとは割り切れない現実。
【あらすじ】
1964年。ニューヨークにある神学校が舞台。神父が生徒と関係を持っていると疑った担任は、そのことを校長に報告。校長は神父を悪人と決めつける。「証拠はないけど確信はある!」と神父を追い詰める。自信満々なのです。根拠はない。


【感想】
原作、監督、脚本のすべてをジョン・パトリック・シャンリーが担当。大活躍ですなあ。原作「ダウト 疑いをめぐる寓話」という舞台を映画化。映画のほとんどの部分が、神父、校長、シスターの対話で構成されている。

左は神学校校長のシスター・アロイシアス(メリル・ストリープ)。彼女の決めた正義のためなら手段を選ばぬ人だよ。怖い。

右は、少し前に亡くなってしまいましたフィリップ・シーモア・モフマン。好きな役者です。この映画では、生徒と関係を持ったと疑われるフリン神父を演じます。生徒に人気があり、神学校を改革したいと考えている。

左は、経験の浅い教師であるシスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)。神父と校長の間で右往左往するお仕事。フリン神父が自分の教え子と関係を持ったのではないかと疑い、校長にそのことを相談。

校長は激怒。神父を悪人と決めつける。が、根拠はない。勘です。あたしが悪いって決めたら、悪い奴なの!間違いない!

敵にしたくない人である。で、とてもわかりづらい話でしたよ。この映画の舞台となった1964年は、アメリカで公民権法が制定され、人種、宗教、性別、出身国による差別が禁止された特筆すべき年。神学校は白人ばかりで、黒人の生徒はドナルド・ミラーだけである。彼はクラス内に友達が一人もいない。白人に囲まれ孤独だった。彼を支えてくれるのはフリン神父しかいない。

その弱みにつけこんで、神父がドナルド・ミラーと性的な関係を持ったのではないかと、シスター・ジェイムズは疑う。

フリン神父は人気者でみんなに好かれている。シスター・ジェイムズも、怖い校長よりもフリン神父が好きなんですね。だから、彼のことを信じたい。彼が、ドナルド・ミラーとの関係を釈明をするが、それをすんなりと受け入れてしまう。

ジェイムズは神父を信頼しているというよりは、真実から目を背けているだけに見える。生徒が悲惨な目に遭っていると思いたくない、フリン神父がそんな人だとは信じたくない、だから検証もせずに盲目的に信じようとする。信頼というより盲信であり逃避なのだ。

一方、アロイシアス校長は、フリン神父と教育理念の対立もあって、彼を徹底的に糾弾する。嘘をついてまで真実を暴こうとする。
「神の意に沿う行為を為すためには、神より遠ざかる手段をとることも辞さない」と言う。

とはいえ、嘘をついて神父を罠にはめてよいのだろうか。はっきりと描かれてはいないが校長の勘は恐らく正しい。神父はミラーと性的関係を持っていたのだと思う。いかなる事情があろうと12歳の少年を誘惑して関係を持ってはならない。だが校長の追及の仕方にも疑問を覚えるのだ。いったい何が正しいのか、どうすればよかったのか。

この映画では二人の強い人物(神父、校長)の間で、どちらが正しいのだろうとジェイムズが揺れる。どちらかが正しいのだと、考えることを放棄してゆだねてしまうのはたやすい。だが、この二人は正しい面と誤った面の両方を持っているように見えるのだ。二人のどちらかを盲信するのではなく自分の答えを見つけねばならない。映画が終わっても明確な答えは示されないのだ。

二人の対決が面白かったですね。校長を演じたメリル・ストリープが際立って良かった。彼女が最後に涙した理由はなんなのか。常に疑いを持ってしまう自分の心の醜さに対してなのか、だがその疑いがなければ学校は守れない。人を疑えば疑うほど、神より遠ざかる。神に近づきたい自分が、醜い役を演じなければならず神よりもっとも遠い所に行ってしまう矛盾だろうか。消化しきれなかった。また時間をおいて観たいですね。しかし、あまり楽しい映画ではないのだった。校長怖い。


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