08
2014

映画「少年と自転車」

少年と自転車
Le gamin au vélo / 2011年 / ベルギー、フランス、イタリア / 監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ / ドラマ
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誰か一人、信じてくれるなら。信じられるなら。
【あらすじ】
施設に預けられている11歳の少年シリル(右、トマ・ドレ)は、父親に捨てられたことを受け入れられない。シリルと偶然知り合った美容師サマンサ(左、セシル・ドゥ・フランス)は、シリルの里親になることを決意する。真面目映画なのです‥‥。


【感想】
カンヌといえば真面目映画、真面目映画といえばカンヌなわけです。苦手だ。
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誰からも必要とされない人生というのは、どういうものなのだろう。歳をとって、誰からも必要とされなくなっても、過去の幸福な記憶を糧に生きていくことはできるように思う。でも、幸福な記憶がまったくない子供ならばどうか。シリルは信頼している父親に大事な自転車を売られ、かつ、自分も捨てられてしまう。信じられるものがまったくない。
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父親(写真左、ジェレミー・レニエ)は、きちんと仕事をしているがシリルを養うお金も、相手をする時間もない。無断でシリルの自転車を売るわ、連絡を絶って行方をくらますわで、ひどい人間なのだけど、悪人とまで言えるかというとそうでもないように思うのだ。シリルに「もう会わない」と、直接伝えることもできない弱い人間である。その卑怯さは、ちょっと共感できてしまう部分もある。

現代は「血」とか「家族」という思い込みが通用しなくなっているのかもしれない。ちょっと前の時代なら「血が繋がっている」「家族である」というのは絶対的だった。たとえ身内が悪いことをやっても、なかなか簡単に縁を切れなかったし、そもそも「切る」などと思いつかなかったのではないか。その関係が幻想で、実は容易に「切れる」ということに気付いてしまった悲劇というか。父親は簡単にシリルを捨てたように見えた。
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シリルの里親を引き受けた美容師のサマンサ。シリルは大人を信頼できないからか、サマンサへの態度も無茶苦茶である。また捨てられるのではないかという恐れからか、甘えたり、反抗したり、いろいろ忙しい。

美容院でサマンサが仕事中、シリルが洗面台の水を出し続けて反抗する場面がある。あの場面は良かったですね。観ていてイライラする。イライラするけど大切な場面なのだ。

シリルはサマンサにかまってほしいのだけど、感情を言葉にできない。自分が苛立っていることはわかっているけど、何に対して苛立っているかはわからないのかもしれない。また、それを言葉にしてサマンサに説明できない。サマンサは「言ってくれないとわからない」と怒る。流れる水はシリルの涙なのかもしれない。

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街で知り合った密売人のウェス(エゴン・ディ・マテオ)。シリルがいる施設で育った、似たような境遇を持つ二人。ウェスの姿は未来のシリルなのか。シリルはウェスに憧れるが、ウェスはシリルを利用して犯罪に巻き込んでしまう。

シリルが強盗をはたらく動機は仲間であるウェスのためで、お金には興味がない。こうやって罪を犯し、相手を死に追いやった場合、少年の罪をどう考えればいいのか。ウェスに喜んでもらいたいとか、居場所が欲しいとかで、罪を犯したことについての自覚に乏しいのだ。

こんな無茶苦茶をやるシリルをサマンサは見捨てない。ただ一人、誰かが信じてやれるならば、人は良い方向に進めるのだ。そんなメッセージでしょうか。

少年犯罪についての厳罰化というのは最近よく耳にする。ただ、善悪の価値判断がついてない、自分がしたことの重大さを自覚していない人間に厳罰を科すことが本当に正しいかというと難しい。親から人並みに愛されて、塾などに行かせてもらって、大学に進学して、会社に就職して、順調な道を歩んできた人間が「犯罪は絶対駄目だよ」と言っても、そりゃそうなんだけどさあという。それは強者の論理にすぎないのではないか。だから少年犯罪を見過ごせというのも、また違う。「こうすれば解決だ」という劇的な解決法などない。結局、一つ一つ丁寧に向き合う、それだけなのだろう。なんか本当につまらないこと書いてますけど、大丈夫か。


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