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2014

映画「ジョゼと虎と魚たち」

ジョゼと虎と魚たち
2003年 / 日本 / 監督:犬童一心 / 恋愛

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「わたしは海の底深くに住んでいた」
【あらすじ】
麻雀屋でアルバイトをするごく平凡な大学生恒夫と、誰からも気づかれぬよう隠れるように暮らしていたジョゼとの恋。


【感想】
原作(田辺聖子)は未読です。
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主人公の恒夫(妻夫木聡)はどこにでもいそうな大学生。大学生活もそれなりに楽しんでいるし、バイトの人間関係も良好、恋人にも不自由してない。この「ごく普通」という役を過不足なく演じる妻夫木聡はやはりすごいと思います。普通であることは、特別であることよりも難しい気がする。近所を歩いてそうな、人の良い大学生。で、この人、何も考えていないのだった。
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ジョゼ(池脇千鶴)のほうは、ちょっとそこら辺にはいない変わり者。足が不自由で歩くことができない。お婆さんが世間にひた隠しにして育てたため、学校にも行ってない。知識はゴミ捨て場に捨てられた本からのみだし、話し相手はお婆さんだけなので、滅茶苦茶に偏った人になってしまった。包丁を振り回したり、トカレフを買おうとしたり、ちょっとアレな人である。

本来ならば出会うことのなかった二人だが、偶然にも恒夫がジョゼの作る美味しい朝食を食べたことで、恒夫はジョゼの家に入り浸るようになる。相手が足に障害があるとか、貧しそうな家だとか、お婆さんが怪しいとか、ついでにジョゼもかなり怪しいとか、そういうことは恒夫にはどうでもいいんですね。それはとてもいいことで、恒夫はバカとも純粋とも言える状態であり、そのおかげで偏見を持たずにジョゼたちと付き合うことができる。障害者がかわいそうだから助けてあげているという、思い上がったところがない。彼が楽しいから、そこにいるだけなのだ。

順調に見えた二人の恋愛だったが、恒夫はジョゼを家族に紹介することをためらってしまう。「兄ちゃん、ひるんだんだろ?」と弟に言われ、トイレでジョゼに抱きついて泣く恒夫。親に紹介する段階になり、障害を抱えた相手とずっと一緒に暮らしていくことを恒夫がはじめて真剣に考えたのだろう。よく言われる「好きなだけでは一緒にいられない」ということに気づいた瞬間だった。

ジョゼは恒夫の決断を全然責めないんですね。何も責めないということが、かえってせつない。自分は「深い海の底に戻るだけ」と、達観している。その物分りの良さが悲しい。ふだんのジョゼなら怒って暴れてもおかしくないのに、ラブホテルのベッドで恒夫に寄り添ったジョゼはとても穏やかで優しい。
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で、それから何ケ月かして恒夫はジョゼと分かれて元の彼女(上野樹里、左)の所へ。別れた足ですぐ行っちゃう。オーイ!ってなるわ。いろいろ事情はありますけども。上野樹里さんは、ちょっと損な役でしたね。性格が悪く見えてしまって。それだけ演技が上手いということでしょう。

恒夫の決断は誰にも責められない。好きなだけでは一緒にいられないというのは確かだけど、でも、好きでなければ一緒にいる意味がないとも思うのだ。これ、恒夫よりわたしのほうがよっぽど甘くないか。困った。

鑑賞後、ちょっと気になった冒頭を見直してみた。二人の海への旅行の写真と、恒夫が誰かに旅行の説明をしているような口調。
「泊まりたいからって言うからさ‥‥、いやいや俺がじゃなくて‥‥」
これは恒夫がジョゼと復縁して、両親や弟にジョゼのことをアルバムなんかを開きながら紹介している場面だと思う。だから、少し説明に困っている。
「ジョゼはいっつもこの本を読んでました。『ました』ってことはないか‥‥」
このセリフですが、裏でジョゼの朗読が流れている。現在も恒夫の横にいて読んでいるから「ました」ではない。
「これってもう何年前だっけ?」
恒夫の質問に答えられるのはジョゼだけではないか。弟や元恋人も答えられるかもしれないが、二人の旅行の写真を見ているのだからジョゼに問いかけているのが自然だ。別れたように見せかけて実はハッピーエンドになっている。

そして映画は始まる。


なぜ、ハッピーエンドをこんなわかりにくい形にしたのか。恐らくですが、原作(未読)では恒夫とジョゼは復縁してないのだと思う。監督の密かな願望として、冒頭に入れる形をとったのだろう。かなり甘い終わり方かもしれないが、それでもこのハッピーエンドは良かったですね。などと書いて、まったくの勘違いということもありますよ。

あと、性描写がちょっと生々しいので困ったりします。そこんとこは各自、喜んだり困ったりしてください。

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