01
2014

映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」

ぼくたちのムッシュ・ラザール
Monsieur Lazhar / 2011年 / カナダ / 監督:フィリップ・ファラルドー / 学校

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息苦しさに包まれて。
【あらすじ】
担任が自殺した後のクラスを引き継ぎます。


【感想】
真面目学校映画である。この映画のキャッチコピーは「いちばん大事なことは、教科書に載ってない」である。出たー!と思いましたね、このパターン。学校映画はこの手のコピーが多い。すぐに「教科書に載ってない」を使いたがる。飽きた。いいかげん載せてもよいのではないか。

「いちばん大事なことは、教科書に載っている」

あ、そうなの、じゃあ映画観なくていいか。ってなりますね。なんだ、この話。

で、アルジェリアからやってきたラザール先生(フェラグ、左)が小学校で担任を持ちます。前任の先生が教室で自殺したため、急遽後任となりました。後任をやりたがる人がいないので、ニュースを観て飛び込んできたラザールさんが即採用です。積極性、大事ね。
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学校に漂う閉塞感が今の日本にとても近いように見える。ラザール先生はアルジェリア出身だからか、カナダのやり方とはずれているようです。指導がちょっとだけ荒っぽいんですよね。そんなたいしたものでもないけど。生徒が悪い事をやると軽く頭をはたいたり、ちょっと危ない遊びをやっていても止めたりはしない。良くも悪くも一昔前の日本の先生みたいだけども。

そういうわけで、指導に対して学校側から注意を受ける。学校の方針は、保護者からクレームを受けないことを第一に考えている。これもちょっと不思議な感じがする。そもそも子供をより良い方向に向かわせるという共通の目的があるのに、なぜ学校対親という構図になってしまうのだろう。

校長(左)は親からのクレームばかりを気にかけるせいか、いささかマニュアル的に見えるのだ。余計なことは一切するなという方針。だが、教育は同じ製品を作るわけではないから、マニュアルとは相性が悪いようにも思う。
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職員会議で、ある先生が「子供は放射性廃棄物みたいなもの」と冗談を言うが、ちょっと笑ってしまった。あんた、すごいことを。

生徒を公平に扱うとか、危険なことを一切させないとか、そりゃまあ正しいのだけど、そういった理想論で育てられた子供はどこか抵抗力が弱そうである。ラザール先生は、こっそり保護者(右)に「実はお子さんをえこいひきしてます」などと言っちゃう。お茶目だなあ。まあ、かわいい子とそれなりの子とか、いろいろおりますし仕方がない。ちなみに右の人は原作者なんですね。
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完全な人が教育を行うということがはたして良いことなのかと考えさせられる。そもそも完全な人などいないし、世間に出れば理不尽が満ちている。上司が自分と同僚を比べて、同僚をえこひいきすることもあるだろう。取引先やお客が無茶なことを言うのも当たり前である。

他人を変えるより自分が変わることが簡単なのだから、不完全な他人に期待するよりも自分が他人を許すことをおぼえるほうがいい。その点、ラザールのようなちょっと荒っぽくて不完全さが見えやすいほうが先生に向いているように思えるのだ。もちろん、滅茶苦茶やっていいわけじゃなく、ある程度の公正さなどはなければならないが。

で、ラザールがいい先生なのかというと、そもそも先生じゃないんですよね。無資格でやっていたという。オイオイオイオイってなるよ。怒涛の展開である。マニュアル的な対応に終始せざるを得ない中、最後にラザールはある女生徒を抱きしめてあげる。生徒に触れてはならないというルールがあるのですが、それを破っているんですね。おそらく、生徒への性的虐待などがあって、そういうルールを作らざるを得なかったと思うのだけど。

マニュアル的な対応をしなかったラザール先生は立派だが、そもそも無資格なんだよなー。無資格で「わしを雇ってー」って来ちゃうのは、根本的に間違っているだろう。いろいろ事情はあるだろうけど。

この映画を覆う息苦しさとはなんなのだろう。なぜ親と教師は対立してしまうのか。寛容さの欠如が息苦しさを作り出しているように思える。不完全な者がより不完全な者を教えているだけで、最初から不完全さしかない。教師にも生徒にも求めすぎてはいけない。「こうでなければならない」が強すぎるように思う。高田純次的要素が学校には足りない気がするのです!

セクハラで、すぐクビになりそうだけど。
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学校を扱った映画はすっきりしないものが多いですね。一件落着!とはいかない教育現場の悩みがあるのでしょう。簡単に問題を単純化して扱わないことには好感が持てます。

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