25
2014

映画「マーサ、あるいはマーシー・メイ」

マーサ、あるいはマーシー・メイ
Martha Marcy May Marlene / 2011年 / アメリカ / 監督:ショーン・ダーキン / サスペンス

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自分の居場所を探して。
【あらすじ】
カルト教団のコミューンから逃げ出したマーサは、姉夫婦の元に身を寄せる。だが、教団に洗脳されていた頃の記憶が彼女を蝕む。


【感想】
なかなかのモヤモヤ映画ですよ、これは。モヤモヤ・オブ・ザ・イヤーを受賞する勢いである。対立候補があんまりないんですけども。
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カルト教団に二年間属していたマーサ(エリザベス・オルセン、中)。教団にいた過去と、姉夫婦に保護された現在が交錯する。カルト教団の実態と、洗脳から抜け出せない苦しみを描いた作品。カルト教団から逃げ出せばそれで終わりかと思っていたものの、そうではないんですね。逃げ出した後も、生活になじめずに苦しむことになる。

教祖のパトリック(ジョン・ホークス、左)は、マーサに教団内での自分の役割を探すように言う。農作業、編み物、料理などを通して彼女は自分の役割を見つけていく。やがてパトリックから体を求められるものの、それも拒めない。教団内の男女はお互いを共有している。教団に属していない外部から見れば、それは異常に見えるが、体を提供することも「役割」の一つかもしれない。自分が他者から必要とされたい、役割を得たいというのは、それがどんな狂った役割でも喜びや充実感になるのだろうか。
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教団の異常さに気づいて逃げ出したマーサだが、姉夫婦との生活にもなじめない。裸で泳いでしまったり、姉夫婦がセックスしている寝室にためらいなく入ってきてしまう。明らかにおかしいんですよね。
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マーサ(右)は義兄を誘惑しているわけではないのだけど、観ていて危ういところがある。すごく挑発的なかっこうで義兄の前をウロチョロする。本人が自分の体が持つ魅力に気づいていないのか、気づいていて無意識にその武器を使おうとしているのか、よくわからない。姉夫婦の家で「役割」を得ようという無意識の行為なのだろうか。単なる観客へのサービスカットなのかなあ。それはそれでありがたいですけど。実にけしからんチチですよ、ありがとう。

マーサは現実生活では、教団内で獲得したような役割を得られない。無職で一日中プラプラしている。義兄に「これからどうすんの?」と訊かれ、さらに計画性のなさも指摘され逆切れする。義兄は経済的に成功しているんですね。だから、余計マーサを許せないのだろう。マーサは「義兄さんは、幸福を物とお金でしか測れない!」と怒るんだけども。引きこもりVS親、みたいな図式であるよ。

どこにいるにせよ、「役割」を見つけなければならないのだろう。マーサはしだいに追い詰められ、おかしくなっていく。最後は妄想か現実か、よくわからない濁らせた終わり方になっている。教団の車が彼女を迎えに来たのか、それは妄想でしかないのか、妄想であってもそれは恐怖なのか願望なのか。

あまり楽しくない映画ですが、カルトについてよく描かれていると思います。あと、主演のエリザベス・オルセンが景気よく脱いでいます。

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