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2015

映画「モンスター」

モンスター
Monster / 2003年 / アメリカ、ドイツ / 監督:パティ・ジェンキンス / 実在の人物を基にした映画、ドラマ

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誰かをモンスターと呼ぶときは。
【あらすじ】
1989年から1990年までの一年間に七人の命を奪った連続殺人犯アイリーン・ウォーノス。彼女は本当にモンスターなのか。



【感想】
シャーリーズ・セロンが出演しているはずなのにどこにもいないと思ったら主演でした。

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眉毛を全部抜き、体重を13キロ増やして体のラインを崩し、徹底的にアイリーン・ウォーノスになりきりました。ちびたタバコがいい味を出している。下の画像と同一人物とは思えない。

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美しくなる努力はみんな進んでするでしょうが、役作りとはいえこうまでして本人に似せようとするとは、この役にかける意気込みにふつうではないものを感じる。登場人物がモテない設定なのに美男美女というのはよくありますが、この映画のシャーリーズ・セロンは見事にホームレスの売春婦に変身している。社会に打ちのめされた惨めさが出ている。

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アイリーンは人生に絶望しており手持ちの5ドルを使い切ったら自殺しようと思っていた。偶然、バーで出会ったセルビー(クリスティーナ・リッチ、左)と恋に落ち、自殺を思いとどまる。

犯罪が起きたとき、原因を社会、景気、環境のせいにすることがあるが、どうも腑に落ちない場合が多い。どこかで立ち直れたのではないかと思うことがある。でもアイリーンの場合は難しかったのではないか。

8歳で父親の友人からレイプされ、そのことを父親に告げても信じてもらえず逆に暴力を振るわれる。父親が自殺後は家を追い出され、13歳にして路上で売春をしながら生きていく。満足な教育、家族の愛情、友人、ふつうの人ならば当然与えられるべきものが一切ない状況で育ったとしたら、本当に立ち直る可能性などあったのだろうか。

アイリーンがデスクワークの仕事に憧れ、弁護士事務所の面接を受ける場面は痛々しい。履歴書すら用意してない。彼女はそんな当たり前のことすらわかっていないのだ。当然相手にされない。

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セルビーはアイリーンに依存しきり、自分では働かずにアイリーンがお金を稼いでくることを望む。アイリーンはセルビーのために売春し、お金がなくなれば犯罪に手を染める。二人は共依存の関係にあるように見えるが、実はちょっと違う。

セルビーは実家から離れて理想の暮らしをするためなら、相手がアイリーンでなくても構わない。だから遊園地の場面ではアイリーンを置き去りにして別の女友達のところへ行ってしまう。その女友達が他に行ってしまえばアイリーンのところに戻ってくる。アイリーンはセルビーしかいないから、戻ってきた彼女を黙って受け入れるしかない。アイリーンの立場はセルビーよりも弱い。セルビーが依存しているのはアイリーンではなく、理想の生活を与えてくれる相手なのだ。

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アイリーンは最後までセルビーをかばっている。刑務所か拘置所からセルビーのところに電話をかけ、セルビーに渡したお金がまだ残っているか、彼女を心配する場面がある。この電話は警察に盗聴されており、セルビーは盗聴に協力している。強奪したお金を大量に受け取っているとまずいので、セルビーはもらったお金を「小銭」と言い換える。アイリーンは盗聴に気づくが、強奪したお金についてもセルビーをかばっている。アイリーンは最後までセルビーを愛していたのだろう。

アイリーンは七人を殺した連続殺人犯である。だが彼女は本当にモンスターなのか。人をモンスターと言うとき、どこかで自分はまっとうな人間であるというおごりがある。両親が揃っており、学校に通わせてもらえば、それは立派な人間にもなれるだろう。しかし、13歳から路上に立って売春しなければ生きていけないとしたら、彼女を助けるべき警察にすら売春を強要される環境だったとしたら。彼女のような存在を単に凶悪な犯罪者として切り捨てるなら、再び社会はモンスターを生み出し、社会に復讐するだろう。

主演のシャーリーズ・セロンは子供の頃に父親から虐待され、目の前で母親が父親を射殺したという。彼女の生い立ちはアイリーンに似ている部分がある。アイリーンほどではないにしろ、彼女も不幸な子供時代を送っている。彼女にとって避けては通れない役だったのだろう。シャーリーズ・セロンは見事にアイリーンを演じきった。

エンドロールではジャーニーの「Don't Stop Believin'」が流れる。アイリーンとセルビーがローラースケート場でデートしたときに流れた、二人の好きな曲である。この曲は「信じることをやめないで」と歌っている。貧しい人々に、情熱を持ち続けろ、信じることをやめるなと歌っている。そうすれば夢はかなうというのは、アイリーンの人生を思うとあまりに皮肉に満ちている。それともこれはアイリーンへのレクイエムなのだろうか。

アイリーンは、ただ誰かから愛されたかったのだろう。いろいろなものを当たり前に持っている人々からすればたいしたことではないかもしれない。ただそれだけのことのために人殺しをしてしまったアイリーンだが、どうしても彼女を否定する気にはなれない。

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