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2015

黒い十人の女

1961年 / 日本 / 監督:市川崑 / サスペンス、コメディ
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わたしだけに優しくして。でなきゃ殺しちゃう。
【あらすじ】
十股をかけたので、女たちに殺されるかも。



【感想】
テレビプロデューサーの風松吉(船越英二)は、美しい妻双葉がいながら多くの女と浮気をしている。風は押しが特に強いわけでもない。むしろスマートで淡白な印象すらある。

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男前は男前なのだけど、優しいだけが取り柄で、それほど魅力があるように思えないのだ。風もそれを自覚しているし、女たちもそう考えている。だが、なぜか風から離れられないのだ。みんな、風のことなどどうでもいいのだが、いざ誰かが風と親しくしているのを見ると、ほっておけなくなる。自分の傍に置いておきたくなる。

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風は誰の物にもならず、女たちはヤキモキする。やがて結託した女たちは、風を殺すことを決意する。うーん、ひどいことを。

この映画は風が関係した女たちの名前に数字が振られている。双葉(山本富士子、中央)、市子、三輪子、四村塩(中村玉緒、右から二人目)など、一から十までの数字が付いている。最後は、百瀬桃子という「百」が付いた女が登場する。風さん、どれだけ浮気をすれば‥‥。

だが、もっとも面白いのは風松吉という名前ではないか。風はわけへだてなく、すべての人の頬を優しく撫でる。だが、誰も風を捕まえておくことができず、吹き抜けてしまう。飄々としてつかみどころがない。まさしく風松吉は風なのだ。

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風をめぐってつかみ合いをする女たち。「局の裏へ来な!」と呼び出された中村玉緒(右から4人目)、きれいですね。キャットファイトが始まるぞー。どっちもがんばれー。

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劣勢の玉緒。しばらくすると「なんであんな男のためにこんなことやってんだろ‥‥」みたくなります。そして、女たちは友情を確認するのだった。河原で殴りあった不良が「おまえもなかなかやるなー」「おまえこそ」みたいな。そういう‥‥そういう? そんな爽やかじゃないわ。単なる男の取り合いである。


女の一人が風に向かって口にする言葉が印象的だった。

「誰にでも優しいってことは、誰にも優しくないってことよ」

ドラマなどでよく使われるが、この映画が初出なのかな。このセリフが女の醜さを象徴していてすばらしい。誰にでもわけへだてなく接するというのは、本来はいいことだし、褒められることである。だが、女は堂々と風にこの言葉を言い放つ。「わたしだけに優しくして」という。男に公平性の放棄を迫る女の醜さが、ときにかわいらしく映る。

映画が公開されたのは1961年。高度経済成長期のまっただ中で、3年後には東京オリンピックも開催される。女たちは家に閉じこもっているだけでなく、外で働き出している。風と関係した女たちは専業主婦ではない。みな、外で男と伍して働く職業婦人なのだ。自活できる女たちは強くなった。少し前に「主夫」という言葉が流行ったが、家族の大黒柱として働く女もいる。この映画は社会構造の変化により、男女の位置関係も変化することを予見したのかもしれない。

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風は十人の女たちによって飼われることになる。今までは、仕事をして家族を養っていることが男の誇りの一つだっただろう。風はほとんど怒ることがなかったが、無理やり会社を辞めさせられたことだけは怒る。仕事が風のアイデンティティであり、最後の砦だった。仕事を奪われた風は、呆けたようになってしまう。専業主婦は家にいても呆けることはない。彼女たちは自分の存在意義を育児や家事に見出しているのかもしれない。風だけでなく、男は仕事を奪われても存在意義を見つけられるだろうか。

風は立ち直れるのか。しばらくしたら、案外「ずっと本を読んでられるな。スマホでゲームもやれるし、アメリカのドラマも観られる。あれ、この生活いいかもー!」ってなりそう。存在意義とか投げやって、一日中遊んでそう。風さん、お願いですからわたしと交代してくれませんか。誇りはとっくに捨てている。

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あるときは友になり、かと思えばつかみあい、風を殺そうと結託し、いざ殺せば責任を押し付けあって蜘蛛の子を散らしたように逃げ出す。女の醜さ、不可解さ、そしてかわいらしさも垣間見える不思議な作品でした。脚本は、監督市川崑の妻である和田夏十(なっと)。たしかにこれは男に書けるものではないと、腑に落ちる思いがした。



【追記】燃えている車について。
最後に、市子が風の元へ車で帰るとき、燃えている車を目撃する。この場面に説明はない。炎上した車は、失敗した双葉と風との家庭生活の暗喩なのかと思った。市子が運転する車(家庭)は「わたしはこんなふうにしない」という市子の意志の表れに見えた。

わたしにこの映画を教えてくれた人は、炎上した車は市子との生活から逃げ出した風が事故を起こしたものと推測していた。風は、市子に監禁同然の状態にされることで呆けたようになっている。かつての風の魅力はない。だが、市子は風との暮らしを他の女たちには自慢している。これは市子の見栄で、もはや意地でしかない。もう市子自身もうんざりしているから、対向車線で炎上している車に風が乗っていたとしても慌てることもないのだ。それならばそれでよいと思っているのかもしれない。

何が本当かはわからない。それもこの映画の魅力の一つなのだろう。



ジャケットも絶妙。
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