03
2015

ラビット・ホール

RABBIT HOLE / 2010年 / アメリカ / 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル / ドラマ
名称未設定-1
誰も悪くなくても不幸は起きる。
【あらすじ】
交通事故で息子を亡くした夫婦。幸せだった頃には戻れないのか。



【感想】
内容が重苦しいので、誰にでも薦められる作品ではないですが、誰かにとって特別な一本になるかもしれない。

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息子を交通事故で失ったことにより、心に深い傷を負ってしまったベッカ(ニコール・キッドマン)とハウイーの夫婦。事故は、幼い息子が犬を追って道路に飛び出したことにより起こった。犬は走るものだし、子供は犬を追いかけるもの。誰が悪いということでもない。主人公は理性的で、そんなことは十分わかっている。それでも周りに当り散らしてしまう。

「人がケンカしたり、揉めたりする映画が大好き」ってふだんは書いておりますが、こういうんじゃないの‥‥。「首領への道」というヤクザの抗争をとりあげた作品では、魚屋に予約した鯛の取り合いで殺し合いが始まる場面がある。アホである。アホなことで揉めるのがすばらしいのに、こんな重苦しく揉めたら駄目じゃんかあ‥‥。仲良くして。

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夫のハウイー(アーロン・エッカート、右)も、妻を遺族の会に連れて行ったり、二人目の子供を作ろうと持ちかけたり、なんとか夫婦仲を修復しようとするがうまくいかない。ベッカは遺族の会でも、うまく振舞えない。他の遺族が、子供を失った悲しみを「神様が自分のそばに置きたくてあの子を連れて行ったのだから仕方ない」と納得していると「神様はなんでもできるなら、そばに置く天使を作ればいいじゃない」と否定してしまう。

ベッカは神に救いを求めない。求めないというか、できないのだろう。もし、彼女が神や何かを盲信する人間なら、心の平安を得られたかもしれない。どういった方法で悲しみを乗り越えようと自由だし、宗教や神に頼るのも一つの方法だろう。でもベッカにはそれができない。いっそ酒や麻薬に逃れる弱さ、愚かさがあったなら、それでいくらか救われたのかもしれないが、彼女はそんなバカなことはしない。きちんと日課の運動を続け、家や庭をきれいに掃除して料理も作る。彼女の強さ、知性が、より彼女を苦しめているようにも見える。それが痛々しい。

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また、ベッカは富裕層の暮らしを努力で獲得しており、貧困層の暮らしに甘んじる母(ダイアン・ウィースト)や妹と内心では距離を置いている。母や妹に同情されても、いらついて当り散らしてしまう。母が息子(ベッカにとっての兄)を亡くしたときの悲しみを例に出して慰めようとするが、それも拒絶する。「自分の子と、麻薬に溺れた兄とでは違う」と言ってしまう。彼女が母に言っていることはひどいことだが、それでも理解はできる。そして当り散らした自分についても失望し、傷ついている。ここらへんは夫のハウイーも同じで、妻と衝突したり、犬にあたってしまったときも、すぐに反省し、あたってしまった自分を責めているのが悲しい。

母が息子をなくしたときの悲しみについて語る場面が印象的だった。悲しみはポケットに入っている小石のようなもので、ときにその存在を忘れるが、ふとしたときに「まだある」と気づく。悲しみはなくならず、形を変えてそこに在り続けるというような話だった。親しい人間を亡くしたことがある人には、思い当たるかもしれない。

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ベッカの傷を癒したのは、交通事故を起こした相手の高校生ジェイソン(マイルズ・テラー、左)だった。ここらへんがすごく面白い。本来憎むべき相手(実際、夫のハウイーは憎んでいる)のはずだが、ベッカはなぜかジェイソンと自然に会話ができる。彼が読んでいた本から「並行世界」の概念を知り、ここではない別の世界では息子は生きているのかもしれないと慰められもする。

並行世界のような科学にすがるのも、宗教や神にすがるのも、実はそんなに変わりがないことに思える。悲しみを乗り越える方法は一つではない。ベッカは並行世界の概念そのものに救われたのではないだろう。ジェイソンもやはり事故を起こして深い苦しみを抱えていた、彼が流す涙に苦しみの一端が垣間見えたとき、はじめてベッカは立ち直るきっかけを得たように思うのだ。

誰も悪くないのに不幸な出来事は起こる。ベッカもハウイーも共に理性的で、この不幸が誰のせいでもないことを理解している。誰のせいでもないとわかっているのに、どうしようもできない。誰かを責めずにはいられず、それが八つ当たりであることも自覚している。その救いのなさといったらない。どうやったら悲しみを乗り越えられるか、という問いに決まった答えはない。

だが、誰かを亡くしてとても悲しいとき、これだけ悲しいのだから一緒に過ごした時間は無駄じゃなかったと思うのだ。もし、その人が死んで何も思わなかったとしたら、その関係はたいして意味がない。だからこの悲しみには意味がある。そう思っても、やはりつらくて、やりきれない。悲しみをうまく乗り越えるなんてできない。だが、解決できない問題だから映画にする意味があるのだろう。

魚を取った取らないで殺しあうヤクザ、あれを観て癒されたくなりました。あれは心が温まる。ほっこりする。人が何によって癒されるか、傷の癒し方はみなそれぞれだし、人の数だけ答えはあるのだ。




そういえば、ジェイソンが図書館で本を延滞したときお金を取られてましたね。アメリカは図書館も延滞料金を取るのだなー。
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