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2015

おとうと

1960年 / 日本 / 監督:市川崑 / ドラマ、コメディ
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なんだかんだで弟が好き。
【あらすじ】
家庭を顧みない父、キリスト教にのめり込む継母、問題ばかり起こす弟。甲斐甲斐しく家族の面倒を見る姉でしたが、たまにキレます。



【感想】
小説家幸田露伴を父に持つ幸田文。文の自伝的小説「おとうと」が原作。バラバラな家族の蝶番となって、必死に家庭を保とうとするげん(岸恵子、左)。やがて弟碧郎(川口浩、右)は不治の病に侵され、ようやく家族はまとまりはじめる。

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無茶をする弟に手を焼きながらも、そんな弟をかわいく思っているげん。げんに対して、ときに反抗的になりながらも、それでも姉を慕っている碧郎。なんだかんだで家族の絆を感じさせる。

主題は家族の物語でありながら、げんの周囲を取り巻く人々に異様さを感じる。コミカルでありながら偏執的で、そのギャップが怖い。たとえば冒頭、百貨店で万引犯と間違われたげん。彼女を問い詰める百貨店の男は、鞭で机を叩いてげんを脅す。日常から不意に、鞭という暴力が出現する唐突さ、異様さ。急に出すかねえ、鞭を。

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弟が警察沙汰を起こしたことから、げんにまとわりつく刑事。この人の薄気味悪さもなかなかのもの。コメディタッチなのに出てくる人物がどことなく偏執的なのだ。女学校帰りのげんを待ち伏せしたり、電車内で顔を近づけてきたり、ネットリしている。金田一シリーズが市川監督の代表作になったのも、この偏執的ネットリ感と横溝作品が持つ因習、不気味さなどと相性が良かったからではないか。

げんを手篭めにしようと襲い掛かかる刑事。姉の危機に、弟がとった手段は大量のガチョウをけしかけることだった!

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「ぐわ! ぐわ! ぐわ!」っとガチョウで救出って、ざんしーん! 斬新すぎて唖然とした。コントではないか。

笑うところなのだろうが、ただひたすら困惑した。この映画が発表された1960年は、これが冗談として成立していたのかなあ。笑いの形は時代によってだいぶ変わってきているとは思うけど。急にガチョウて。監督は正気なのか。

そんで、刑事のネチネチ加減に輪を掛けて変なのが継母(田中絹代、左)の存在。

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リューマチで手足がきかず、家事のほとんどを長女のげんに任せている。負い目があるからか、余計げんにつらく当たってしまう。だが、継母のやり方は直接的にげんを罵倒するわけではない。げんのちょっとした不備も見逃さず、悪意のない行為もあえて曲げて解釈して、げんを追い込んでいく。

「わたしが継母だから」「手足がきかないわたしが悪いのだから」と自分の弱味をさらけ出し強調することで、健康なげんに負い目を感じさせる。このいびり方、勉強になります! 見習いたい。万年筆の修理に、げんを銀座に行かせる場面もネチネチ感がすごい。

継母のげんへの支配欲の強さが恐ろしい。自分はリューマチで外出が困難なこともあり、げんが外でした会話もすべて知っていないと気がすまない。自分のことをげんが外で悪く言っているのではないかという被害妄想がすさまじい。で、この継母をそそのかす知人(岸田今日子)も偏執的なものだから恐ろしい。この二人が結託したネチネチぶりがすさまじい。顔の距離が近すぎるし。もう変な人ばかりじゃよ‥‥。

父(森雅之、右)は弟をかばうものの、愛情にかたよりがあるのか、げんの方はかばってくれない。継母がげんをいじめている声が聞こえても、聞こえぬフリで書き物を続ける。弟は父から甘やかされ、継母にはいじめられ、父からは家政婦のように扱われる。うーん、なにこの具合悪くなるような展開。で、げんが唯一心を許せるはずの弟も問題ばかり。万引きするわ、学校辞めるわ、父親の金でビリヤードだー! ボートだー! 乗馬だー!って遊んでばかり。

おまえ、ええかげんにせえよ、と切れたげんは弟につかみかかるが、吹っ飛ばされました。

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しかも弟に首を絞められる。兄弟げんかで首をしめるって、ありなんでしょうか。このどこまでふざけてどこまで真面目なのかがよくわからないのがいい。こんなことをされても、実は仲の良い姉弟なのだけど。

げんは、父の弟への偏愛に腹を立てつつ、それでも父も弟も嫌いにはなれない情の厚さを持っている。情を通り越した共依存と呼ぶべきなのか。弟が病の床につき、継母が病院に見舞いに訪れる。弟は素直になり、一家はまとまり、げんも継母と和解できたように見えた。弟はやがて息を引き取るが、それを見たげんはショックで倒れてしまう。布団に寝かされたげんは目を覚まし、まだ弟が生きているものと思い、起き上がって慌てて駆け出す。そのとき、継母に向かって「お母さんは休んでいてください」と言うのだ。

リューマチの母を気遣っているようで、そうではない。表面上は和解しつつも、やはり、げんは継母を家庭に入れなかったのだ。弟と自分の間に何者も介在させないという狂気にも見える強さが表れていた。一家がまとまるかと思いきや、最後に冷や水を浴びせてくるもんだから驚いた。継母の意地の悪さばかり強調され、げんは被害者のように映っていたが、見えない壁を築いていたのはげんだったのかもしれない。

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