19
2015

映画女優

1987年 / 日本 / 監督:市川崑 / ドラマ
名称未設定-1
怒って放尿が似合うのは誰か。教えてください。
【あらすじ】
女優田中絹代の半生。



【感想】
原作は新藤兼人監督の「小説 田中絹代 (文春文庫)」。原作未読です。

「映画女優」という大きく振りかぶったタイトル。なかなかこれだけ大きいタイトルは付けられない。これは名作になるか、そうでないほうになるか、どちらかだろうという気がした。そうでないほうになった気がする‥‥。

田中絹代の半生にからめつつ、撮影現場、無声映画からトーキーへの変遷など映画史についても軽く触れている。市川崑監督は、映画「悪魔の手毬唄」の中でも、無声映画からトーキーの変遷、スーパーインポーズ(映像フィルムに字幕を書き込んだフィルムを焼きつけたもの)について触れている。この変化に並々ならぬ思い入れがあったのかもしれない。

で、肝心の田中絹代である。凛々しいお顔。

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田中絹代も、田中絹代を演じた吉永小百合も、ほとんど知らないまま鑑賞しました。田中絹代という人は、情熱的で情にもろく、人に惚れやすい。人の好き嫌いも激しい。癇が強く、衝動的でときにずいぶん乱暴な言葉もつかう。猪のような人だったのかなと、観ていて楽しくなった。

菅原文太演ずる冷静な溝口健二監督(劇中では溝内健二)とのやりとりも興味深い。何度も何度も冷徹にNGを出す溝口に、ついに堪えきれなくなった田中が、どうしたらよいか演技指導を求める。溝口は冷たく突き放す。「自分は映画監督だから演技のことはわからない。あなたは女優としてお金をもらっているのだから、演技についてはあなたが考えてください」というようなことを言う。

溝口は、田中の演技がいいか悪いかは判断できるが、それがどうしたらよくなるとかどう演じればいいかについての指導は拒否する。溝口健二という人は、役者にとってはさぞ恐ろしい監督だったのではないでしょうか。この二人のやりとりが、この映画の目玉かなあ。

前半は、田中の情熱的で恋多き人生について描かれる。ただ、田中の情熱的、奔放ともいえる恋愛と吉永小百合があまりに違いすぎるように思えた。吉永小百合は、昔の写真を見てもかわいらしく映っている。女の生々しさ、色気というより、少女性という部分を強く感じる。妖精のようなかわいさというか。吉永小百合を見る者が作り上げた偶像かもしれないが、少女性を持ったまま、歳を重ねたように見える。

吉永小百合の生来の品の良さが、田中絹代の野性的ともいえる魅力とどうしても相容れない。自室でだらしなく伸びて文句を言うところも、どこか品が良くなってしまうのだ。夫だった映画監督の清光(橋本徹)とケンカした際、頭にきた田中は座敷で放尿して啖呵をきって実家に帰る。放尿と吉永小百合の相性の悪さというか。放尿しそうもないんだよなあ。怒ったら、ちょっとうっかり放尿しそうだぞ、という女優がいい。誰だ、それは。マルシアか? マルシアならどうだ? 知らんけど。

吉永小百合は、いつ見ても美しい。歳をとっても美しさが保たれている。田中絹代はある歳から美しさへのこだわりを捨てたのではないか。「楢山節考」では、姥捨て山に捨てられる老婆をやるために、歯を何本か抜いてまで演じている。男で歯を抜く人はたまにいるが、女で、しかも美しさを売りにしていた女優が歯を抜くというのは執念とか狂気とか、尋常ではないものを感じるのだ。

吉永小百合と田中絹代は、歳の重ね方があまりに違いすぎるように見えてしまった。美しいということは、たしかに女優の価値の一つではあるが、執念や狂気というものを宿した田中絹代に強く惹きつけられた。
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