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2015

1959年 / 日本 / 監督:市川崑 / ミステリー
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堕落、退廃、淪落。でも現代のほうがずっとひどかったりして。
【あらすじ】
性欲が衰えてきたので、妻が浮気するのを見て興奮したい。



【感想】
この映画は、女盛りの妻を満足させられない剣持(中村鴈治郎、中)が、妻に浮気をさせて興奮して喜ぶという、ちょっと困った映画。それぞれが思惑を持ち、屈折した心を抱えたままお互いを利用しあっている様子の描き方がいい。

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古美術の権威である剣持は、精力は衰えてはいるが妻への強い執着を持っている。体は衰えているのだが、いやらしいことを考えるのは大好きという。うーん、もっと他にやることありそうなんだけども。

剣持がかかっている病院の医師木村(仲代達矢、左から二人目)は、開業して自分の病院を持ちたい。そのためには財力のある剣持の後ろ盾は欠かせない。感情に乏しく、目の白さが薄気味悪い。抑揚なく、じとっとした喋り方をするのだ。こわいよー。

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剣持の妻の郁子(京マチ子、右から二人目)。本心では剣持を嫌悪しているが、その感情をひた隠しにし、貞淑な妻として剣持に仕えている。郁子が剣持を嫌悪している様子は、足が不自由な猫を追い出す場面からみてとれる。剣持も足を少しひきずっている。機関車の連結が性交を暗示させたり、猫が剣持を表したり、市川崑監督は陰湿な描写が得意なんですよねえ。いいことだ!

剣持夫妻の娘で、木村の婚約者である敏子(叶順子、右)。みずからの容姿に強いコンプレックスを持っている。木村が母に関心を寄せ、自分との結婚は剣持の後ろ盾が必要なためと知りつつも、木村との縁を切れない。木村や両親を憎みつつ、でもその歪な関係からは抜けられない。

はな(北林谷栄、左)。色と欲で繋がった剣持家で働く家政婦。「全員死んじまえ!」と思っていますね。わかりやすくて、いいおばあちゃんです。

普遍的なテーマを扱う作品というのは時間の風化に耐えやすい。でも、過激さや技術を重視した作品はそうではない。時代が変われば現実が作品を軽々と超えてしまっていることがある。この鍵という作品も、もはや現代では通用しないのではないか。

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剣持は木村をつかい、妻を浮気させようとする。浮気の様子を想像して興奮したいのだ。さらに剣持は、酔って寝ている郁子を裸にしてポラロイドカメラで写真を撮って喜ぶ。そのフィルムの現像を木村に依頼する。木村は、暗室で郁子が映ったフィルムを眺めて興奮するのだ。あのー、君らね、あのー、ほんとにしょうもない。

ビデオデッキが普及してから、日本人のセックスは変化したように思う。今までは密かに交換されていた性情報が一気にビジュアルを伴って拡散してしまった。さらにネットでとどめを刺された。もう、この映画の時代とは比べ物にならないことをみんなやっている。あまりに屈折しすぎて今やわけのわからないものもある。

友人から教えてもらったのは、回転寿司のアダルトビデオだった。巨大な皿に裸の女の子が載ってきて、客は席で下半身を出して立っている。女の子が通り過ぎる際に、口で男性器をくわえて、またすぐに通り過ぎてしまうというものだった。まったく気持ち良さそうじゃないし痛そう。なにやってんだ、これ。現代は、みんなこうだからな!

こうも捻じ曲がってしまうと、ポラロイドカメラで撮影してウハウハ喜んでいるのも間抜けに見えてしまう。今や、セックスの様子を撮った動画をネットにあげて世界に発信、職場にばれて泣きながら退職の時代。堕落した現代では、ちょっとやそっとの刺激では物足りなくなっている。だが、激辛の香辛料でないと、辛味がわからない舌というのは異常な気もするのだ。それっていいことなのかなあ。「淫靡さ」みたいなものが消滅してしまい、開けっぴろげな過激さばかり求めるのは、風情がないようで淋しい。ポラロイドカメラでキャッキャウフフしているぐらいのほうが、真っ当なのかもしれない。真っ当というか変態だとは思うけど。

堕落に底はあるのだろうか。もう十分に堕落しきっているように見える現代だが、これからももっともっと堕落していくのだろう。50年後、100年後、人は何で興奮を覚えるのだろうか。なにやら壮大な話になってまいりました。

最後はですね、お手伝いの北林谷栄が「おまえら、いいかげんにしろよ」とばかりに、全員に毒薬を盛るまさかの終わり方であった。あれは良かったですね。毒薬(研磨剤?)を入れた茶筒に、墨痕鮮やかな太字で「どく」と書いてあるのも大変よかった。あの茶筒、ネット通販で売ってないかな。
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