15
2016

一命

2011年 / 日本 / 監督:三池崇史 / 時代劇、ドラマ
名称未設定-4
武士道か、武士の情けか。お腹がイタイタイ映画ですよ‥‥。
【あらすじ】
切腹したいので、人の家の庭を借りたい。



【感想】
原作となった滝口康彦「異聞浪人記」は未読。これを原作とした仲代達矢主演「切腹」(1962年)も未見です。

時は寛永七年十月。天下分け目の関ヶ原の合戦(1600年)も三十年前のこと。多くの侍は関ヶ原を知らない。井伊家の江戸下屋敷に、元安芸広島藩・福島家家臣の津雲半四郎(市川海老蔵)と名乗る浪人が現れる。生活は困窮し、仕官の道もなく、この上は武勇の誉れ高い井伊家の庭を借りて切腹をしたいと申し出る。しかし、人の家の庭を借りて切腹とは迷惑な話だよ‥‥。

名称未設定-2

実に海老蔵がいいんですよね。目がギョロギョロして、食い詰め浪人感が出ておりますよ。ただ、やはり三十代に見える。設定上(50~60歳ぐらい)、もうちょっと老けて見えるとさらに良かったのですが。

海老蔵を応接した井伊家家老斎藤勘解由(さいとうかげゆ、役所公司)は、春先に同じ用件で来た浪人千々岩求女(ちぢいわもとめ、瑛太)の話を始める。世間では狂言切腹というものが流行っており、食い詰めた浪人が切腹のために庭先を拝借したいと申し出る。本当に切腹したいと思う者など稀で、仕官の道を得たり、いくばくかの金銭が狙いなのだ。

斎藤は片足を引きずっており、その怪我はおそらく関ヶ原で負ったものなのだろう。(大阪の陣ということも考えられるが、劇中で「関ヶ原の戦いを知る者も少なくなった」などと説明されるため)。歴戦の古強者で、武士道にこだわる斎藤は狂言切腹を苦々しく思っており、千々岩求女に「庭をお貸しする」と返答する。切腹のつもりなどなく、慌てた千々岩求女は、一日猶予をくれと訴えるが「武士に二言はないはず」と認められず、半ば強引に切腹させられてしまう。

クリップボード02h

求女は脇差を売ってしまったのか、切腹をしようにも脇差の刀身は竹なのだ。竹光を腹に何度も突き立てるがなかなか腹が切れない。この様子が痛々しく、画面から目を背けてしまう。で、介錯を務める沢潟彦九郎(おもだかひこくろう、青木崇高、右)の意地の悪さたるや、腹に竹を突き刺した求女が介錯を求めても「まだまだ」と言って首を切らない。苦しむさまを見て喜んでいる。とんだドS侍である。さすがに見かねた斎藤が、みずから求女の首を落とす。この話を海老蔵にすることで、斎藤は海老蔵に翻意を促す。

名称未設定-1

だが海老蔵は考えを変えず、庭をお貸し願いたいと答える。仕方なく、齋藤は切腹を認めることにする。

話はミステリー仕立てになっていて、実は以前に切腹した求女は海老蔵の息子だったことがわかる。求女は結婚しており、病弱な妻と急病で苦しむ赤ん坊のため、やむなく狂言切腹をしに来て、本当に切腹させられてしまったという。海老蔵は、求女の敵討ちに来たようにも見える。敵討ちといっても、本当に誰かを討つというより、慈悲もなく「武士に二言なし」と切腹させた形骸化した武士道に対する敵討ちだろうか。

名称未設定-5

求女夫婦の貧しくとも仲睦まじい様子は良かったですね。「一緒に食べればもっと美味しい」と、一つの菓子を分け合う。人の幸せをみずからの幸せとしている。貧しさで家族が崩壊しないというのは教育のおかげだろうか。ここまで貧しければ「実家に帰らせていただきます」となりそうだが、そうはならない。ま、帰る場所もないんだけど。お金を価値の根底におかないというのは、貧しい生活をしているとより難しいんじゃないかと思います。理想的な家庭だなあ。

名称未設定-3

で、途中までは「狂言切腹とは迷惑な」と思いながら観ていた。そりゃ、家老の斎藤も迷惑顔しますよ。あんたが貧しいのはわかるけど、だからウチの庭で切腹するとか言われてもーという。海老蔵は斎藤に「あなたも求女も、世が世ならば逆の立場になっていたのではないか」と問いかける。これは本当にそうなんですよね。

今いる自分の場所は、本当に正当な場所かというと、ただ運が良くて座っているにすぎない。海老蔵や求女の苦しみは、個人の力を超えたものによる。高校の日本史の話になりますが、福島家というのは関ヶ原で東軍(徳川家康)に従う。本来、福島正則は豊臣秀吉子飼いの武将だったため、豊臣方である西軍に味方するのが筋。しかし、西軍の大将石田光成と福島正則の折り合いが悪かったため福島正則は東軍に味方し、東軍は勝利する。

関ヶ原、大阪の陣を終え、大きな戦いはなくなり平和が訪れる。福島家は東軍に加勢したので領地を削られることもなかったが、それが問題となる。「狡兎死して走狗煮られ、高鳥は尽きて良弓は蔵さる」という言葉がある。強大な豊臣方の勢力は、平和になった今、幕府にとっては不安の芽となった。また第二、第三の大阪の陣をやられてはたまらない。そこで城普請をきっかけに福島家は改易させられる。福島家は標的にされただけなのだ。

幕府は、改易や減封、参勤交代、城普請によって大名の力を削いでいく。ひどいやり方ではあるが、これらの政策が一概に悪とも言いづらい。大名は力を蓄えられず幕府に対して反乱を起こせなかった。江戸時代はいくつかの戦乱はあったとはいえ260年ほど平和が続く。参勤交代によって街道は整備され、宿場町が栄えたことで庶民が豊かになったことは間違いない。

海老蔵たちは時代の犠牲者ともいえる。そして、関ヶ原や大阪の陣の結果によっては、斎藤と海老蔵、求女の立場が逆でもなんら不思議はなかった。齋藤は、サザエの壷焼きを美味そうに頬張っており、あんまりそういうこと考えてなさそうなんだけど。彼が、歴戦の勇者ということで、自分の栄達も当然と考えているのかもしれない。ただ、戦により功成り名を遂げることも、幸運な立場ゆえに成し遂げられたのではないか。斎藤は成功者であり、努力したからこそ、かえってその呪縛は深いようにも見える。ようは「おまえらは努力が足らんから、そうなったのだ」というね。

お互いの立場の象徴として白猫が出る。求女の家で飼われていた白猫はボロボロになって死ぬ。これは困窮しながら生きる求女たちであり、貧しい家に帰ってきて死んだというのは節を曲げなかったということではないか。一方、斎藤に飼われている白猫は座布団の上でぬくぬくしている。どちらも同じ白猫で、そこにたいした違いはない。お互い、逆の立場でもおかしくはなかった。この対比は巧みでした。

名称未設定-8

で、まあ頭にきた海老蔵が三十人ぐらいを相手に大立ち回りとなる、竹光で。うーん、竹光なんだよなあ。娯楽時代劇ならいいんだけど、真面目路線でやってきて急に竹光で三十人相手というのが。即、斬られて死ぬんじゃないかしら。海老蔵は無敵モードなので、なかなか死にませんが。

なぜ海老蔵があえて竹光を使ったかというと、いくつか理由は考えられる。竹光で死んだ求女への義理立て。また、赤ん坊(自分の孫)が急病だというのに、太刀を売って薬代を作らなかった自分への罰ということも考えられる。武士の面目にこだわり、本当に大切なものを救わなかった。これこそ形骸化した武士道ともいえるのではないか。

名称未設定-6

海老蔵が、井伊家に伝わる鎧を倒してめちゃくちゃにする場面は、形骸化した武士道を否定する行為に映る。いくら武士道、武士道と持ち上げてみても、人への情けを忘れたならば、そんなものに意味などはない。海老蔵はそう考えたのではないか。

海老蔵というと、いっときずいぶんマスコミに叩かれた。酒癖が悪く、酔うと「俺は人間国宝だ」と自慢する癖があるという記事を読んだ覚えがある。本当かどうかはわからないけども。面白いのは、困窮に喘ぐ暮らしをした津雲半四郎というのは、人間国宝と口にする海老蔵と真逆の立場であること。逆の人間を見事に演じきった。

自分が座っている居心地の良い場所は、ただ運が良かったためでしかない。わたしがあなたなら、あなたがわたしなら。そのことを忘れないようにしたい。



GYAO!で2016年1月11日~2016年1月24日まで無料配信中です。
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment