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2016

クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち

CRAZY HORSE / 2011年 / アメリカ、フランス / 監督:フレデリック・ワイズマン / ドキュメンタリー、ショー
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男から見えるもの、女から見えるもの。
【あらすじ】
パリのナイトクラブ「クレイジーホース」の舞台裏。



【感想】
パリの老舗クラブ「クレイジーホース」で夜ごと行われるヌードショー。女の柔らかな体に照明と音楽が重なり、幻想的な光景が出現する。ショーはもちろん、稽古、オーディション、衣装選び、会議の様子、最高の舞台を作り上げるためのスタッフのこだわりが収められています。

不思議なことに、いやらしさ、生々しさというのはそれほど感じられない。ショーの観客の半分が女性というのもうなづけます。なぜ、いやらしさを感じないのか不思議だった。美しい景色を見ても性欲を覚えないのと同じで、女性の裸が出ていても、それが芸術まで昇華されているということなのかな。

とはいえ、わたしは辞書で猥褻な言葉を引いても興奮できる人間。想像力で、いろいろどうにかできる人間。なぜ、興奮しないのか不思議ー。

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芸術か猥褻かというのはきれいに分類できるものではなくて、観客の性別によっても違うだろうし、突き詰めれば個人によっても大きく違う。一つの演目でもときに芸術でときに猥褻で、両側を忙しく行き来するように見える。芸術と猥褻が渾然と混ざり合うところに、幻想的な美しさが生ずるのかもしれない。

このドキュメンタリーを観ていて男と女は、はたして同じものを見ているのだろうか。男は、ショーを芸術としても劣情を抱いても眺めることができる。演出された舞台とは違って、舞台裏では着飾らない生身のクレイジーガールたちが裸でウロウロしています。ここではいやらしさを感じてしまう。芸術まで昇華されていない、生身の女を強く意識させられるからだろうか。当たり前ですけども、彼女たちにまったく恥ずかしさはない。彼女たちを見て「猥褻だ」と思う人間のほうが猥褻なのだろう。わたしだ。

この作品は女性から薦めてもらったものだけど、薦めてくれた人は「芸術的な美しさ」を賞讃していた。わたしも芸術的な美しさを感じもしたが、それでもやはりどこかいやらしさも感じてしまった。「すごくきれいだったよね」などと感想を言ったが、あれは見栄を張っていた。わたしの体の真ん中についている棒を切り落とせば、ひょっとして芸術的な感覚に至れるのだろうか。でも、あの棒、一回切っちゃうと終わりだからなあ。付いていても、厄介なことが多いし、切ったほうがいいのかな。そもそも人間の間違いの多くはあの棒に起因するものである。あいつさえなければ。なんだか話が逸れている。たいへん芸術的な作品でした。いや、本当に。

猥褻か芸術かなんてどちらでもよくて、ただ目の前にある美しいものを眺めれば、それだけでいいんでしょうねえ。体のラインが本当に美しい。それだけ書けば十分だったのだ。

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