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2016

風立ちぬ

2013年 / 日本 / 監督:宮崎駿 / ドラマ、恋愛
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狂気と共にある夢。いつか許される日が来るのか。
【あらすじ】
飛行機が大好きなので作りたい。


【感想】 
物を作る人間の身勝手さについて、言い訳をせずに描いているように感じました。公式サイトの「企画書」に監督の考えは率直に書かれている。堀越二郎は飛行機を、宮崎駿はアニメをただ作りたかったのだろう。当人たちにとってこれ以上面白いものってないんだから。他に理由などいらない。

1920年~30年代の日本。関東大震災、世界恐慌による不景気。欧米列強との差は大きく、庶民はまだまだ貧しい時代。堀越二郎(声、庵野秀明)は、美しい風のような飛行機を作るため、設計者を目指していた。だが、時代は民間機の開発を許さず、二郎は零戦の開発を担当することになる。

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堀越二郎は、実在した零戦設計者堀越二郎と、文学者堀辰雄をごちゃまぜにしたもの。声は「新世紀エヴァンゲリオン」を手掛けた庵野秀明監督が担当している。朴訥として落ち着いたいい声。棒読みであまり合ってないように感じたものの、中盤以降はそれほど気にならなくなりました。人は慣れる。

二郎の眼鏡の影まで描いているんですね。細かいなあ。

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里見菜穂子(声、滝本美織)。結核に苦しむ資産家の令嬢。絵が趣味。関東大震災で二郎に助けられたことを憶えており、二郎を慕っている。のちに再会した二人は結婚する。

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家庭を顧みることなく零戦開発にのめり込む二郎。二郎は幼少の頃から、のめり込んだら周りが見えない人なんですよね。妹は常にほったらかされる。会議だって耳に入らない。魚を食べれば、魚の骨と飛行機の翼を比べてしまう。設計にとりつかれ、結核の妻の面倒も十分にはみられない。

かといってひどい人間ではない。いじめられっ子を助ける正義感はあるし、震災でも菜穂子たちを家まで送り届けている。貧しい子供たちにシベリア(あんこをカステラで挟んだお菓子)を買う優しさもある。戦争が始まってからの全体主義には否定的だ。

だが、そんな二郎が零戦を開発している。零戦の開発費は日本中の子供たちにシベリアを腹いっぱい食べさせることができるほど巨額だが、子供を飢えさせてでも日本は零戦を開発する。二郎の夢は飢えた子供たちの上に立っている。

二郎は喜怒哀楽を表に出さない。自分の作った零戦で、敵味方多くの人間が死ぬことについても特に悩む様子はない。技術自体に善悪はないと割り切っているようだ。仮に二郎が零戦を作らなかったら、日本軍の死亡者が増え、連合国軍の死亡者は減る。そして、誰かが零戦の代わりの戦闘機を作るだけである。二郎は、そのような感傷的な問題は解決済みなのだろう。



煙草

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これは今のチェリー。劇中のチェリーはその名の通り桜色の箱でしたね。二郎、そして宮崎駿が好んで吸っている。二郎への監督自身の投影を感じさせる。本当は二郎の声は宮崎駿自身がやれば良かったのかもしれない。でも歳をとりすぎているので同じ表現者として認める庵野秀明に託したのだろうか。

煙草はこの映画にとって、特別な意味があるように思える。もっとも印象的だったのが、結核で苦しむ菜穂子の横で、二郎が製図を書きながら煙草を吸う場面。ここがすごく良かったですね。二人に残された短い時間。普通、結核で苦しむ人間の横で煙草は吸わない。そんなことは二郎は百も承知だが、それでも煙草は仕事をするのに必要だから手放せない。菜穂子の存在は、二郎にとっては常に二番目なのだ。

菜穂子がなぜこの扱いに怒らないかというと、菜穂子と二郎はとても似た人間だからだと思う。菜穂子もまた、自分のやりたいこと(二郎と一緒にいること)のためには周囲に迷惑をかける。黒川(二郎の上司)の家の離れを借りているが、誰だって結核の患者に部屋を貸したくないし、面倒だってみたくないだろう。菜穂子は結核でありながら、二郎に抱かれることを望む。二郎と口づけもする。二郎は零戦開発という国にとって重要な仕事をしており、彼が結核になることは国にとって大きな損失である。でも、菜穂子は二郎のそばにいようとする。愛する二郎を自分のせいで危険に晒している。菜穂子もまた狂気の人なのだ。

この映画を観てもっとも驚いたのは「自分のやりたいことのために周りに迷惑をかける」ということだった。「周りに迷惑をかけてはいけない」というのは常識だと思うが、二郎も菜穂子も自分のことしか考えてない。

二人をひどい人間とみることもできるが、それは一般論でしかない。本気で何かを成し遂げようと思ったら周囲のことなど考えてはいけない、というかそもそも周囲など目に入らないのかもしれない。公式サイトには二郎の夢について言及がある。

「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。」




菜穂子の「生きて」という言葉
二郎とジャンニ・カプローニは共通の夢の中にいる。零戦のパイロットたちを見送る二人。彼らは帰還することはなかった。草原にころがる飛行機の残骸。そこに二郎の良心の呵責が表れているように見える。零戦がもたらす悲劇、失われた命への後悔を心の底では持ち続けてきたのかもしれない。

草原を菜穂子が歩いてくる。菜穂子は二郎に「生きて」と呼びかける。呼びかけは優しい。この意味はなんだろう。二郎はその才能と夢によって、間接的に多くの命を奪ってきた。本人はそれについて十分すぎるほど自覚しており、また仕方のないようにも思っているのではないか。だが、表には出さないがひたすら懊悩し続けていた。ともすれば自殺しかねない。

菜穂子の「生きて」という言葉は、二郎の狂気をはらんだ夢を丸ごと肯定してくれる優しさに溢れていた。それは結核になっても二郎のそばにいた、見方によっては身勝手とも思える菜穂子だからこそ、身勝手な二郎を肯定でき得るのだ。菜穂子の言葉によって二郎は、はじめて許しを得た。それが二郎の「ありがとう」という言葉ではないか。技術や芸術は善悪の判断を超えたところにあり、人生をかけて希求すべき夢である。勝手といえばどこまでも勝手な話かもしれない。だが、この場面を観たとき、とても強く心が動かされた。


多くの人が期待する宮崎映画というのは、ラピュタ、トトロ、ナウシカ、魔女の宅急便、カリオストロの城などの胸躍る冒険譚かもしれない。この映画にそんな派手な要素はない。地味だけど、自分の夢に真摯に向き合った人を描いたすばらしい映画だと思いました。正しく理解できてないところも多いのかもしれない。時間を空けて、もう一度観たいと思います。昔の日本の風景描写、人々の立ち居振る舞い、言葉遣いも美しかったです。


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